「お仕事は?」「ええっと…………………作家…………………です」

失われた小説をもとめて【3】
藤田 祥平 プロフィール

戦々恐々としながら…

そして午過ぎ、青森市に入った。

いい加減走りっぱなしで疲れていたこともあり、はやめに宿を取ることにした。

計算してみると、たった三日半で京都から青森までを走り抜けたことになる。

無意味な走行である。

ときにわれわれは、意味もないのにどうして生きているのだろう、と、答えのない問いにとらわれる。

答えがないことはわかりきっているのに、問わずにはいられない。

問うてみたところで、またすぐに日々の暮らしに追われるばかり。

うたかたのような人生である。

しかしながら、時の流れが日々の泡となってわれわれの身体から思想を洗い流していくとき、そのあとで現れる清廉な川底の茂のような生活の跡こそが、粋(いき)である。

 

まわりくどい言い方をした。

直截に言おう。地元の人々の言によれば、1945年(昭和20年)7月28日~29日にかけて行われた青森大空襲ののち、旧国鉄青森駅前はほとんど焼け野原と化した。このままではいかん、復興だと奮発した住民が、あらゆる法をまったく無視してバラック群を建てた。このバラック酒場が青線地帯と化すまでには、そう長い時間はかからなかった。極寒の東北で、熱燗だけで事足りる道理はない。凍てついた労働者の肌を暖めるおんなの人肌が、なくてはならなかったのだ。

こうして戦後のドサクサにまぎれ成立したJR青森駅そばの「第三振興街」は、恐るべきことに、令和元年の現在もその名残を留めている、日本でも有数の地域である。

はっきり言って、政府や市町村はご当地キャラなどでお茶を濁すことはもうやめて、こうした清濁の遺跡を、文化財なり歴史遺産なりに指定して保護するべきだ。

で、私は戦々恐々としながらその地域の入り口(?)に立っていた。