「お仕事は?」「ええっと…………………作家…………………です」

失われた小説をもとめて【3】
藤田 祥平 プロフィール

目的は完全に形骸化した

翌日は朝から曇天だった。ホテルをチェックアウトしたのち、秋田駅前のファミリーマートでホット・コーヒーを買い求め、駅のそばのバス乗り場のベンチに腰掛けてそれを飲んだ。昨晩の絶望的な閑散は、やはり夜だからであったのだ。通勤通学のためのバスを待つ人々が、ちゃんといた。

そのなかに、高等学校の体操着を着て、連れだってどこかへ行く一団があった。みな何か道具をつつんだ袋を持っていて、何なのかわからないが、おそらく部活動で、練習試合にでも行くようだ。仲間内でなにか話していて、笑顔である。

彼らは仲良くバスに乗車していった。

私はひとり残された。

この時点で、もはや取材旅行という目的は、完全に形骸化した。

 

私はただひたすら最北端にむけて疾走する一個の意識となり、そのほかのあらゆる現実的な要請を忘れていった。

記憶のなかには、さまざまな美しい景色が残っているのだが、もはや私には、それが日本のどの辺りであったのかさえ、定かでない。

あとから地図を見て、あの恐ろしいまでに広大だった謎の田園地帯は、おそらく山形県酒田市周辺だったのだろう……と、当たりをつけなければならないくらいだ。

もちろん、私の意識は、どこかで、こうした美しい景色を風景描写にコンバートしようとしつづけていたし、また実際の執筆においても、コンバージョン自体はそれなりにうまくいった。

ただ、物語とは、やはり人間の営みにほかならないのだ。死んだ村を描くことは、やりがいのある仕事である。しかし、それがどのようにして死んだのかを描くこともまた、たいせつな仕事だ。

いや、むしろ、そっちのほうがたいせつな仕事だと言える。

道中、数え切れないほど多く見られた、死に絶えた村落の様相が魅力的なのは、そこに人の営みの気配が残されているからだ。たとえそれが、もう終わってしまった暮らしの残骸であるにせよ、かつてそこに誰かしらの人がいて、なんらかの人生を歩んだことだけは、絶対に確かなのだ。

しかしあまりにも甘かったのは、ほかでもない私自身がそうした暮らしを描かなければならないと、気づいていなかったことだ。彼らの声と意見はすでに消えてしまったのに、そうしたものがひとりでに聞こえてくることを、私は勝手に期待していたのだ。

これでは、親鳥が餌を運んでくるのを待つ雛だ。その餌がいかにうまかったかを書いて、なぜか小説が出た。それで作家だと、いい気になっていたのである。

みずから餌をもとめに行く親鳥にならねばならない――と、私は思った。