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「ウクライナ疑惑」で、トランプの大統領再選は確実になりそうだ

米国民は疑惑よりも国政を求めている

推定無罪の大原則

「推定無罪」というのは、重い響きを持つ言葉である。思い込みや偏見によって、無実の人々を投獄したり処刑してはならないのは当然のことである。

とても悲しいことだが、これまでに、世界中の民主国家で冤罪によって死刑に処せられた人々は多数いると思われる。ときどき報道される「冤罪事件」は、氷山の一角であろう。

もっとも、共産主義中国のような独裁国家では、裁判所が共産党の支配下にあり、元々裁判の公正さなど期待できないから論外だ。少なからぬ日本人が逮捕監禁・処刑されているが、政治的な意図も感じられる。

しかしながら、少なくとも日本などの先進国は民主主義・法治国家であり、「推定無罪」はその重要な構成要素だ。冤罪を防ぐためにも推定無罪の理念は必須といえよう。どのような人々でも「明確な証拠によって有罪と確定するまでは『無罪』」として扱われるべきなのである。

 

ところが、日本でも米国でも国会(議会)というところでは、この「推定無罪」という大原則が機能していないように思える。

野党が「疑惑追及」などと叫んでいるのは、言ってみれば「決めつけ捜査」で、「政権打倒ありき」というのが見え見えである。

警察・検察が「面子にかけて犯人を挙げなければならない」とあせって、哀れな無実の人間を証拠でっちあげで罪に陥れるように、野党も「政権転覆」に血眼になって、証拠とは言えない証拠を並べ立て、オールドメディアとスクラムを組んでキャンペーンを張る。

どこかの国の人々は「うそも100回つけば本当になる」とのたまうそうだが、野党やオールドメディアも「新聞やテレビで大騒ぎすれば嘘も本当になる」と考えているフシがある。

事実、インターネットなどのメディアが発達する前は、国民が情報を取得する手段は限られており、オールドメディアは国民を意のままに操ることができたのであろう(考えたら恐ろしいことだが……)。

しかし、ネットメディアが発達し、情報の非対称性が大幅に減少した現在では、「政権打倒ありき」の見込み捜査ならぬ「見込み疑惑」では国民を動かすことはできなくなった。

大騒ぎしたロシア疑惑からは結局何も出てこなかったし、日本のモリカケ騒動も国民の血税を浪費(議員の歳費を含む国会運営費用など)しただけに終わった。森友問題については、籠池泰典氏の実の息子である籠池佳茂氏が、どのように森友疑惑が「創られた」のかを現在、明らかにしつつある。

最初の嘘は大概の人が信じる。しかし、2回、3回と繰り返せば「あいつは嘘つきだ」というレッテルを貼られ、誰からも相手にされなくなる。「オオカミ少年効果」と言ってもよいであろう。

そのような状況の中で、米国民主党が懲りずに持ち出したのがウクライナ疑惑である。