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大河ドラマ、新1万円札の顔、渋沢栄一を知る「4つのポイント」

「日本の資本主義の父」の生涯
楠木 誠一郎 プロフィール

(4)大蔵省ナンバー2の地位なんていらない!

栄一が大蔵官僚を辞めたのは、数えで34歳のときである。

大蔵省で栄一は、「官僚と渡り合える商人たちを育てる」という思いを胸に、日本に初めて民間の資本からなる銀行を設立すべく、動いていた。

藩札と、明治新政府が発行した紙幣が混在し、金そのものにまるで信用がない世の中にあって、貨幣制度を確立しなければならないと奔走していたのだ。その制度を運用するための組織として、なんとかして銀行を設立しなければと情熱を注いでいたのである。

 

栄一が役人を辞めたのは、明治6年(1873年)。同じ年に、「第一国立銀行」が設立された。「官尊民卑の世の中を変える!」という強い思いのあった栄一だが、役人を辞めた引き金となった事件は、現代でもありがちだが、国の予算を決めるにあたり、各省の間でおきたぶんどり合戦に嫌気が差したことだった。

このとき栄一は、大蔵卿(現在の財務大臣)の不在などで事実上、組織のナンバー2にあったが、まるで未練なく身を引いた。ちなみに、栄一と同じタイミングで、大蔵大輔(たいふ)=現在の財務事務次官であった井上馨も大蔵省を辞めている。

民間銀行さえつくってしまえば、パリで学んだ商売のシステムを実践できる。あとは水を得た魚であった。第一国立銀行のトップとなった栄一は、商売をはじめたい人たちに貸し付けを行い、明治の日本の基礎をつくる、さまざまな会社の設立を陰に日向に支援した。

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「資『本』を『合』わせる」という意味で、「合本主義」を唱えた栄一は、ありとあらゆる業界の会社の設立に関わり、その数、なんと500社を超えたというから驚く。