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大河ドラマ、新1万円札の顔、渋沢栄一を知る「4つのポイント」

「日本の資本主義の父」の生涯
楠木 誠一郎 プロフィール

(2)維新の大転換期、日本にいなかったラッキー!

一橋家に就職した栄一は、新たな家臣をスカウトし、領地でとれた米を高く売りさばき、ただの紙切れと化していた藩札をお金に換えた。人事部、営業部、経理部と、他部署をまたいで仕事をやってのけたわけだ。そして、慶喜が将軍になると同時に、攘夷・倒幕運動にかぶれていた青年は幕臣になった。

江戸幕府の運命は、ご存じのとおりだが、栄一がその目で幕府が倒れるのを見ることはなかった。維新の前後、栄一は、フランスはパリにいたのだ。パリ万博に顔を出すついでに、フランスに留学する慶喜の弟、昭武の身辺の世話を命じられたのである。

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そのパリは、栄一に大きな影響を与えた。フランス人の銀行家から、元手がなくとも出資者を募って商いをし、儲けを分配するシステムを学んだのである。現在、当たり前の株を元にした取り引きであるが、栄一にしてみれば目からウロコのシステムである。

そして、維新のゴタゴタから離れていたことが幸いして、日本の未来を客観的に見る目を養えたと言えよう。

(3)あれよあれよという間にキャリア官僚に

帰国した栄一は、自らが仕えた慶喜が謹慎している静岡藩で働きはじめた。その栄一に与えられた最大のミッションは、明治新政府が各藩から借金するかわりに配った紙切れ「太政官札」をお金に換えてみせることであった。

 

太政官札を説明すると、まるで国家的な詐欺である。静岡藩は明治新政府に70万両を貸し出したが、「利子を付けて返す」という触れ込みで、まず53万両分の太政官札が渡され、残りの17万両を含め全額は13年後に返すといわれたのだ。今も昔も、13年後に政府がどうなっているかなんて、保証のかぎりではない。

栄一は太政官札を元手に民間に貸し付けを行い、利子をつけて金を返させることを藩の勘定頭に進言した。フランス留学で身につけたアイディアであるが、将来、栄一が銀行を立ち上げる布石である。

そんな財政の才能がある人物を、明治新政府が放っておくはずがなかった。静岡藩庁に呼び出された栄一は「民部兼大蔵省、租税正(そぜいのかみ)」というポストを与えられ、いわばキャリア官僚となってしまったのだ。渋々、官僚となった栄一だったが、“置かれた場所で咲く”のが栄一の真骨頂である。

まず、物納だった税金を現金主義に変えるという納税システムづくりに着手した。また、廃藩置県によって宙に浮いた藩札(藩内で通用した金)の処分について意見を求められれば、わずか3日ほどで数千枚のアイディアを提出したという。