この土に染みた水が
やがて秋田の恵みに

ブナがつくり出す水分と栄養を蓄えた土

ブナがつくった水分をたっぷり含んだ腐葉土は、白神山地の宝。

「白神山地を歩いていて何が楽しいかって、腐葉土の感触なんですよ」

菅沼さんがとっておきを教えるように話してくれる。たしかに靴の底で捉える土が、ふかふかしてとてもやわらかい。戯れに木の枝を突き刺してみると、どこまでも土のなかに入っていってしまう。1年で1ミリの厚さの土がつくられるそうだから、1メートルの土は千年分の堆積だ。

マタタビが、ほのかに甘く香る、ウメに似た可憐な花を咲かせていた。

「じつはこれが白神山地のいちばんの宝なのではないでしょうか」

手に土をひとかたまり取り、ギュッと摑むと水がしたたり落ちた。ここ数日、雨が降らずカラカラな状況なのに、こんなにも潤っているのだ。気の遠くなるような時間を内包した腐葉土のなかでゆっくりと濾過されて、じっくりと磨かれてきれいになった水はいまも、白神山地のそこかしこで染み出ているのだろう。しかも腐葉土層のフィルターを通してできた良質な水は、河川を通じてその栄養分を海にまで至らせ、海洋生物たちの糧になる。森は、海にも恵みを届けるのだ。

何に価値をおくか誰がその価値を決めるのか

200年といわれているブナの平均寿命を優に超えた長寿の「400年ブナ」。白神山地のシンボルでありながら、岳岱自然観察教育林の散策コースの途中で、気軽に会いに行くことができる。

こうした稀有な環境がなぜ無事に現存しているのかといえば、地盤が弱いせいで崖崩れが起きやすく、また雪に閉ざされる時期が長いために、里から隔絶された“僻地”だったこと。またブナは生長するのが遅く、木材として使えるようになるまで何十年もかかるため、“役に立たない”木として人間に利用されなかったこと。要するに、人の暮らしと関わり合いがなかったのが功を奏したのだ。

「だから、人からたまたま放置されていた原生的な範囲を定めただけ。世界遺産になっていなければ、いまも誰にも見向きもされない場所だったかもしれません」と佐藤さん。

日本固有種のヒメネズミは警戒心が薄い。ひょっこり顔を覗かせてくれた。

「白神山地でも、場所によってはブナを伐採し、代わりに“役に立つ”スギを植えたこともありました。時代が変わり、自然保護活動の考え方が根づくと、今度はブナを大切にしようという風潮に。人間は自然の猛威の前ではたしかに無力ではあるけれども、それとは別に、自然環境を生かすも殺すもその時々の人間の考え方次第だというのは知っておくべきかもしれません」

清らかな水の恵みを巡る散策は、人間が地球の生命の一部としてすべき選択をたどる思索の時間でもあった。

そこかしこに芽吹くブナの赤ちゃん。激しい生存競争はすでに始まっている。

岳岱自然観察教育林トレッキング
ブナの天然林と澄んだ水を巡る約1.8㎞のコース。ゆっくり歩いても約1時間で楽しむことができます。

「岳岱自然観察教育林」とは…
白神山地の世界遺産に指定されたエリアとほぼ同じ環境のブナの原生林。舗装路を外れるとすぐに深い森林になるが、なだらかで歩きやすいコースが整備されており、老若男女問わず安心して散策可能。白神山地のシンボル「400年ブナ」にもここで出会うことができる。

白神山地世界遺産センター 藤里館
世界遺産地域としての白神山地の普及啓発を目的とする施設。白神山地の生態や自然環境を無料で学べる。
秋田県山本郡藤里町藤琴字里栗63
☎0185-79-3005
開館時間:9:00~17:00(1月~3月は10:00~16:00)
休館日:火(1月~3月は月・火、祝日の場合は火・水)