14歳のビル・ゲイツ、革命の導火線となる「ある教訓」を学ぶ

「見ろよ、こんなのが始まっているぞ」
ウォルター・アイザックソン プロフィール

ゲイツは16歳のとき、「30歳までに100万ドルを稼ぐんだ」と豪語していた。だが、この自己評価は見事に外れてしまう。アレンとコラボレーションした結果、30歳時点のゲイツの資産は3億5000万ドルに達していたのだ。

コンピュータ革命をもたらす教訓

1968年秋、8年生になろうとするゲイツは学友と「レイクサイド・プログラマーズ・グループ」を結成。この事業を通して、ふたりの役割はだんだんと固定化されていた。アレンがアイデアマンで、0から1を考え出す役。ゲイツはその中から一番いいアイデアに狙いを定め、実現を図る役だった。

 

ある日のこと。ゲイツはある調査会社から交通パターン分析の仕事を受注した。道路にゴム管を渡し、その上を通過する車を数えている会社の仕事だ。ゲイツとアレンは、その生データを処理する専用のコンピュータを作るのがいいと考えた。

近くの電機店で360ドルもする8008チップ(インテルが開発した初期のマイクロプロセッサー)を購入したふたりは、8008上で動くプログラムを書く必要があった。そのためアレンは、8008の仕組みを模倣し、メインフレーム上でも動作可能にする、つまりエミュレートする方法を考え出した。

8008チップインテルより発売された8008チップ Photo by Getty Images
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「8008のエミュレーションは技術界では自明のことを再現した形で、1930年代にアラン・チューリングが唱えた理論にも通じる。彼が唱えたのは、いかなるコンピュータも、他のコンピュータと同様に動作するようプログラムできるということだ」と、アレンはのちに説明している。

錬金術のようなこの技からは、「ソフトウェアがハードウェアをしのぐ」という教訓も学べた。これこそ、ゲイツとアレンがコンピュータ革命にもたらした核心だと、アレンはのちに語っている。

ハーバード時代のゲイツ

ハーバード、エール、プリンストンの三校すべてに合格したゲイツが選んだのはハーバードだった。

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ゲイツはハーバードでも、30年間解決されなかった数学の「パンケーキ問題」を解決したり、登録した講義には出ずに他の講義を聴講していたにもかかわらず試験はすべて「A」を取っていたりと、その才能を遺憾なく発揮していた。

また、ゲイツはポーカーにものめり込み、一晩の勝ち負けが1000ドルに達することもあった。これ以上浪費しないようにと、アレンに小切手を預けるほどには熱中していた。「すぐに返してくれ」と何度も迫っていたそうだが。

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ゲイツがハーバードで過ごす気ままな生活は、1974年の12月、2年生のなかばに一変する。アルテア(MITS社が開発したパーソナルコンピュータ)が表紙を飾った「ポピュラー・エレクトロニクス」誌の最新号をつかんで、アレンが学生寮カリアーハウスのゲイツの部屋に飛び込んできたからだ。

「ポピュラー・エレクトロニクス」1975年1月号  Photo by Wikipedia
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「見ろよ、僕らのいないところで、こんなのが始まっているぞ」

アレンのこの一言が、ゲイツに行動を起こさせることになる。それから8週間、ふたりは夢中になってコードを書き続けた。やがてコンピュータビジネスの性格を変えていくことになるコードだ。

歴史を変えたイノベーターズ

ゲイツとアレンは、アルテア用のソフトウェアを書きはじめた。完成すれば商用としてははじめて、マイクロプロセッサーにネイティブで対応する高級プログラミング言語になる。

そして、パーソナルコンピュータのソフトウェア市場が生まれることにもなる。