1977年、交通違反を犯したビル・ゲイツ Photo by Oklahoma County Sheriff's Department / Getty Images

14歳のビル・ゲイツ、革命の導火線となる「ある教訓」を学ぶ

「見ろよ、こんなのが始まっているぞ」
「コンピュータとインターネットを作ったのはだれか」と聞かれたら、答えに窮するかもしれない。それもそのはず。これらを作った人物はけっして1人ではないからだ。見落とされがちだが、デジタル時代の発明はほとんどがコラボレーションの中から生まれてきた。
ウォルター・アイザックソンの最新作『イノベーターズ』では、普段は注視されない独創的な人間や少数ながらの真の天才まで、個性溢れるヒューマンストーリーを数多く描いている。今回は、同書よりマイクロソフト創業者、ビル・ゲイツの学生時代を紹介しよう。彼が「ある重要な教訓」を手にして成功をつかんでいく物語を通して、「チームワークこそ、時代を揺るがすイノベーションの根幹」であることを実感していただきたい。
ビル・ゲイツ現在のビル・ゲイツ Photo by Getty Images
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伝説のオタク少年

「彼は、そういう呼び名が生まれる前からオタクでした」と当時の教師は語る。

並外れた知性。大きすぎる眼鏡。やせっぽちの身体。甲高い声。シャツのボタンをひとつも外さずに着るようなガリ勉ファッション。小さい頃のゲイツはまさに、我々が思い描くオタク像そのものであった。

だが、ゲイツはただのオタクではなかった。熱心で驚くほど頭が切れ、それでいてユーモアのセンスもあり、冒険を好んでいた。テニスや水上スキーに本気で挑み、父親の影響で熱心なボーイスカウトにもなっていた。

また、ゲイツは少年期からひたむきに勉強していた。4年生のとき、理科の宿題で5ページのレポートを求められたのに対し、30ページも書いて提出した。同じ年、将来なりたい職業の調査では「科学者」と回答した。

 

また、シアトルのスペースニードルタワー最上階で開かれるディナーに招待されたこともあった。以前、協会の牧師が開いたコンテストで「山上の垂訓」を完璧に暗唱したからだ。

シアトルにそびえるスペースニードルタワー Photo by Getty Images
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相棒との邂逅

ゲイツの人生が一変したのは中学生になって数カ月後。彼が通う私立の名門男子校、レイクサイドスクールの一室にコンピュータターミナルが設置されたのがきっかけだ。

彼は毎日ひまさえあれば、熱心な仲間と一緒にコンピュータ室に通うようになった。のちにゲイツはコンピュータの好きなところを尋ねられたとき、「厳密な論理のシンプルな美しさ」と答えている。それこそ、ゲイツが独自に考えながら培っていったものだ。

そして仲間の中には、将来マイクロソフトの共同創業者となるポール・アレンも含まれていた。アレンはゲイツより2学年上で、体つきもずっと大人だった。背が高く社交的で、いわゆるガリ勉タイプではない。そんな彼がすぐゲイツに興味を持ち、引きつけられた。

ビル・ゲイツとポール・アレンビル・ゲイツ(左)とポール・アレン(1984年撮影) Photo by Getty Images
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ふたりの仲を表す印象的なエピソードを紹介しよう。

ゲイツがビジネス誌「フォーチュン」を読みふけっていたある日のこと。「こういう大会社を経営するというのはどんな感じなんだろう」とゲイツに聞かれ、アレンは「想像もつかない」と答えた。しかし、ゲイツは「いつか僕たちも会社を持つことになるかもしれないよ」と涼しい顔で言ったという。