私が引っ越してきた2017年当時、芝園団地ではすでに、ごみや騒音といった生活上の問題はかつてよりも減っていた。
ただ、一見すると日本人と中国人は大きな問題もなく共存しているものの、互いの交流は限定的で、両者の間には「見えない壁」があった。
古参の日本人住民は、中国人住民が増えて団地が急速に変わっていく中で、「もやもや感」というべき複雑な思いを抱えていた。その一つが、「私たちの団地」だったはずなのに、自分たちが脇に追いやられていくという思いだ。
たとえば、商店街の変化だ。
団地の商店街ではここ数年、日本人経営の店が店主の高齢化もあって次々と閉店していった。代わりにオープンするのはいずれも中国系の飲食店で、商店街にはすでに日本人が経営する飲食店はなくなった。
「日本人の店がなくなって寂しいねえ」と言う古参住民の人たちに対して、排他的だと断罪することは、同じ住民として自分にはできない。一人の住民として暮らしていると、彼らが戸惑い、不安を抱く気持ちもわかるからだ。
だが、芝園団地が「私たち」だけの団地ではなくなっていることも現実だ。
かつては公団賃貸住宅に入居できるのは日本人だけだったが、90年代からは、収入などの条件を満たせば中長期の在留資格を持つ外国人住民も入居できるようになった。団地住民としては、日本人も外国人も同じ条件で入居し、同じ権利を持っている。
「私たち日本人の団地」という思いは、時代の急激な変化に意識が追いつかない状態ともいえる。それは、白人中心の社会ではなくなりつつある米国社会の変化に、抵抗を覚える人々の心情にも似ている。