2020年、カリフォルニアが「アメリカの未来」を左右する

デジタル・ゴールデンステイトへの変貌
池田 純一 プロフィール

『ウーバーランド』によれば、ドライバーに対してもマッチングアプリの「利用者=消費者」という位置づけをして雇用関係の存在を隠蔽しようとしたUberの問題点は、労働と消費の意図的混同にあるのだという。

ナラティブやエンゲージメント、という言葉が、ITマーケティングに携わる人たちを介することで、上記のような「雇用を消費に転換させる」、なかば詐術に近い甘言になりつつあることには注意が必要だろう。「聞き手が納得させるための方便としての説明のしかた」が、今どきの「ナラティブ」なのだ。つまりは、「ものもいいよう」ということだ。

 

そして、ひとたび「消費する」立場にたてば、eBayでものの売り買いをするのと同様の言葉=ナラティブで、「車による移動サービス」の売り買いについても、もっともらしく語ることができる。そうして、労働の言葉で語るべきものまで、消費の言葉で語られてしまう。

そのため『ウーバーランド』の著者は、ライド「シェアリング」という言葉を嫌い、ライド「ヘイリング」という言葉を使う。シェアリングという言葉は、その言葉から連想されるコミュニティ幻想を通じて、UberやAirbnbのサービス内容を、彼らスタートアップにとって都合よいかたちで誤解させてきた。シェアリングという言葉は、Uberであれば事実上のタクシー事業、Airbnbであれば事実上の宿泊事業を隠すのに役だってきたのだという。

〔PHOTO〕gettyimages

ユーザーの側に立つ消費の言葉が厄介なのは、お金を払って購入するという点では平等な状況が生まれるからだ。対価として必要なお金が支払える限り、金持ちも貧しい者も平等=等価に扱われる。そのため、消費の論理は、より広く多くの人たちからの同意を得られやすい。程度の差こそあれ、消費の論理は、誰もが当事者として日々の行動の「合理的根拠」の一つとして励行し、それがまた一つの社会的習慣になるからだ。その空気を払拭することは簡単ではない。そして、そんな消費の論理が蔓延した世界で、意識的にその空気を利用しているのがUberのような「シェア」を称するアプリ開発企業ということになる。

このように「消費の世界」で流通している(ゲームの)ルールを、サービス産業に持ち込んだのが、Uberたちだった。もちろん、消費の論理は、インターネットの内部で、情報として扱われている分には問題はなかった。けれども、その論理が物理的な世界にまで進出したところで、世界中でバックファイアが起こった。

その余波は、起業家のイメージコントロールにまで及んでいる。

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