2020年、カリフォルニアが「アメリカの未来」を左右する

デジタル・ゴールデンステイトへの変貌
池田 純一 プロフィール

しばしば「データは新時代の石油」と言われるが、それなら石油と同様に、その採掘から得られた経済的富は分配されて当然だという主張だ。そうして、個人情報を利用するプラットフォーム企業に対して、配当を個々のユーザーに分配させようとする。データは公共的な資源であり、であれば、そこから得られた経済的利得は、等しく配分するに値する、という発想だ。注意すべきは、個人情報の利用の「対価」という位置づけではないことだ。あくまでも公共資源から得られる公共の富の分配という意味での「配当」なのである。

そうして、プラットフォーマーを、むしろ新たな公益事業とみなし、政府とのパートナーシップのあり方を目指している。この点は、いきなり反トラスト法の適用による企業分割によって、つまり旧来の規制のロジックで問答無用に対処しようとする、民主党の大統領候補の一人であるエリザベス・ウォーレン上院議員の提案とは異なっている。ニューサムにとってシリコンバレーの企業は忌むべき悪ではないである。

もちろん、このような発想は、なにもないところからは生まれはしない。プログレッシブな思考の中から生み出されたものだ。プログレッシブとは、人為/設計の選択が生活環境を大きく変えうる可能性を持つ「都市政治」にこそ求められる思想である。つまり、人工システムとしての都市の「制御」を重視する立場だ。保守の「レット・イット・ビー(なるようにさせろ)」の発想では間に合わない。田舎者の「反動」になど付き合っている暇は大都市文明からなるカリフォルニアにはない。20世紀の機械産業社会のフロンティアであったカリフォルニアは、21世紀の情報技術社会のフロンティアとしても振る舞おうとしている。

 

消費の論理がネットを飛び出した

こう見てくると、現代は、“Code(コード)”がもたらした無法地帯を、“Law(法律)”によって再構築しようとする「揺り戻し」の段階に入ったといえそうだ。イノベーションなどによる社会の変化が早いため、現代は立法措置ではなくデファクト・スタンダードや裁判の判決のような「ソフトロー」が社会統御の上で優勢な時代になっている(正村俊之『主権の二千年史』)。しかし現状は、社会秩序の変成のメカニズムの統御を巡って、コードに対してロー(法律)の逆襲が始まった、ということだ。その舞台となるのが現代のディープブルー・カリフォルニアなのである。

そう考えると、UberのみならずFacebookやGoogleなども含むシリコンバレーの巨大企業群である“Big Tech”とは、コードによってローを圧倒する集団とみなすこともできるだろう。コードの論理で地球上の秩序を強制的に書き換えようとする集団だ。そして、そのコードの論理を社会実装の点から支えているのが、それ自体は必ずしもモラルの観点を伴わない(ミクロ)エコノミクスだ。インセンティブ設計による利用者の操作がまさにそれだ。

その意味では、エコノミクスがあたかもモラルの位置を占めているかのように(主にはテック企業によって)誤解されている風潮があるのかもしれない。そこで焦点になるのが「モラル/エシックス=倫理」という観点だ。現場のウィン-ウィン論理による正当化からは一歩離れ、思弁的に検討してみる必要がある。

その思考実験の火種となっているのがギグ・エコノミーであり、今のところ、その騒動の中心にいるのがUberだ。Uberのように、一定の成功を収めたと思ったそばから、シリコンバレーのヒール役を担わされる会社も珍しい。だが、それはUberだけでなくギグ・エコノミーと呼ばれるビジネス全般がもつ問題だからだ。つまり、Uberとは近未来の徴候なのだ。

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