子どもの居場所は
ほとんどが家庭と学校と「のみ」

話を学生に戻そう。そもそも学生の頃というのは特に人生の選択肢が見えていないことが多いい時期だ。子どもの頃は人間の居場所がほとんど「家庭」と「学校」に限定されていて、その「限定されていることのリスク」は無限大だと思う。何故なら人間の居場所は大人になると結構増えるし、増やせる。家庭や学校の他に、近所、ふるさと、街の溜まり場、雀荘、ゴルフ場、サークルやバイト先、海や山といった自然、趣味のコミュニティ、挙げるとキリがない。それが子どもとなった瞬間にほぼ「家庭と学校」に限定されてしまう。逃げ込める「お婆ちゃんの家」や近所のコミュニティも最近はぐんと減ってしまった。

大人だって、職場がストレスフルなことはつらい。でもまだ別の居場所があれば、そこで解消できる。そういう居場所にはお金や時間も必要になることが多い Photo by iStock

そんな選択肢の少ない状況で、同調圧力をまあまあ感じさせられる「学校」という場所に行けなくなった時、子どもは追い込まれる。親にも先生にも「学校に行きなさい」と追い立てられ、自分を責めてしまうだろう。

でも良く考えてみて欲しい。学校ってそんなに精神を殺してまで行くほどの場所? 人間学びたいタイミングや学ぶ方法は人それぞれだとしたら、精神を壊してまで学校に行かなきゃいけないなんて、そんなわけない。LGBTの子どもが性別を偽って、その辛さに耐えられず自死を選んでしまうほど、学校は偉くないしすごくもない。小学生や中学生が学校に行かなくても、学ぶ方法なんていくらでもあるのだ。また自分のタイミングで学校に行きたくなったら行けば良いだけ。

そして、自分のタイミング、自分で選んだ方法で学ぶ方がずっと頭に入ってくる。これはハタチで高校を卒業した筆者が身をもって体験した「事実」でもある。私にとって学ぶタイミングは中学生でも高校生でもなかった。大人になる一歩手前の18才から私は突然机に向かった。それでも全米有数の大学に入学することが出来た(それまではいつも嫌々向かっていた、よって成績も悪かったし、何にも頭に入って来なかった)。