背広姿の若い男性が述べた、「香港の一国二制度を破壊しているのは、香港独立派ではない。香港は一国二制度を維持できるし、自治をきちんとやっていけるはずだ」という意見に向けてこう言ったのだ。
「若者と一緒に歩み続けたいと思っています。しかし、大変重要なことですが、香港は一国二制度は維持するといっても、それは『自治』ではない。申し訳ないのですが、香港の自治は一国二制度ではないのです。なのできちんと理解してほしいのは、我われにはボトムラインがあるということです」
「港人治港」、つまり「香港人による香港自治」と訳されてきたこの言葉を彼女は否定した。さらに、主権返還時から中国政府も高らかにもてはやしてきた「高度な自治」もそこで否定したのである。
これは香港の歴史にとって、かなり衝撃的な一言である。
だが、彼女自身はこう理解しているからこそ、自治の長としての役割を果たそうとしてこなかったと理解できる。香港には自治がない、だから行政長官である自分が政治家の役割を果たして香港を治めるのではなく、中国中央政府の意志を確認し、その範囲内で仕事をする――そんな、完全な公務員官僚の論理で働いてきたのである。
香港には公務員を束ねる役割を担う「政務長官」という職がある。林鄭長官は、政府のナンバー2の地位にあるこの職から行政長官に就任したにもかかわらず、前代未聞の大混乱に陥った香港社会の総意を汲み取り、政治力を発揮することを拒絶し続けてきた。ここでも続けて、「逮捕者の起訴を取り下げ、釈放しろというのは、法治社会ではあってはならないこと」と、官僚ばりの論理を繰り返すだけだった。
そして、「なぜ独立調査委員会を設立するのを拒むのか」という質問に対して、「さまざまな条件に照らして考えた結果の選択だ」とやはりこれまでと同じ答えを返すのみで、どんな具体的な考慮条件が存在するのかには触れようとしなかった。つまり、それが彼女のいう「ボトムライン」なのである。

行政長官の「役人根性」
筆者は以前から指摘してきたように、彼女の「お上に仕える公務員性」こそが、香港の混乱を深刻化させた元凶だと考えている。
そして彼女が「お上」とあおぐ中国中央政府は、習近平がトップに就任して以来、意志の統一、意識の統一といったイデオロギー性を最も強調してきた政権である。具体的背景事情が違うのであまり比べたくないのだが、ウイグルやチベットの例を挙げるまでもなく、今の中国国内で起きているメディア規制、異論者への締め付けは突出している。