広告の未来、それは「脳」の争奪戦かもしれない

ほんとうの「哲学」の話をしよう
岡本 裕一朗, 深谷 信介 プロフィール

深谷  広告の死とは、つまりメディアの死、でもあるということですか。具体的にはインターネットの次のメディアが何か、ということでしょうか。

岡本  そういうことです。インターネットの後のメディアは、まだ誰もイメージできていません。歴史的に見れば、インターネットによって電子メディアが主流となり、すべてがネットでつながるというような、数百年単位の転換が20世紀末に起きてしまったので、この時代はもうしばらくは続くでしょう。問題はその先、です。

資本主義の次に何がやってくるのか、誰もまだはっきりとはわかっていないのと同じで、メディア環境の次のかたちはまだわかっていません。

かつて、マルクス(1861〜1938)は資本主義が終焉したあとに社会主義へ移行すると予言しましたが、現実には社会主義はうまくいかず、マルクスの言ったようにはなりませんでした。

〔PHOTO〕iStock

では、このあとどうなるか? まだ誰も答えを出していません。

同様に、いまのネット社会も次にどう転換していくのかはわかっていません。ネット社会ではいま、そこにつながった人間の行動や欲求といった情報はすべてGAFAが吸い上げ握っています。

そして、これまでも何度か議論しましたが、人間がもう何も考えなくていいように、面倒なことはもう何もしなくてもいいようにと、動物化する方向にすべてが進んでいる。

広告はその急先鋒に立って、流れを加速させる役割を担っているわけです。しかしそれも、いつまでも同じ手法で単にインタラクションのスピードを上げるだけというのでは、いずれ機能しなくなるだろうということです。

ただ、これも以前言いましたが、人間にはあまのじゃくなところがあって、旅行のシミュレーションでも、うまくいきすぎるとおもしろくなくなってしまうという面があります。ゲームもいつでも勝てるようでは、逆につまらない。どこかで思い通りにいかない衝突や葛藤が必要となる。生活においてもそれは言えると思います。

 

深谷  あまりに便利で快適だと退屈になってくる、とすると、ゲームも適度に負けるプログラムが求められるように、生活でも、すぐには手に入らないとか、なかなかうまくいかないとか、不便さや苦労や我慢といったものを刺激として入れていくことが必要になるだろうということですね。

岡本  そうです、ですから広告は次にそこをつくりだすことが課題となるかもしれま
せん。