2019.10.06
# エンタメ

令和歌舞伎は群雄割拠だ! 海老蔵世代がいよいよ跳躍する

團十郎襲名で劇界地図はどう変わる?
中川 右介 プロフィール

「團十郎」がトップにあるのが伝統

初代市川團十郎が活躍したのは元禄時代である。

以後、江戸の歌舞伎は、代々の團十郎が中心となって、興行されていた。

團十郎家は、初代から九代目までは血統が続いていた。これは役者の家としては、珍しい。

昔の「おしろい」には鉛が含まれており、役者の多くは鉛毒で短命であり、また子どもをつくれない人が多かったので、血のつながった息子に後を継がせることのできた家は少なかった。

 

そのなかで例外的に、團十郎家は初代から九代目まで血統が続き、さらに存命中に息子に「團十郎」を譲る例も多かったので、江戸の芝居の世界には常に「團十郎」を名乗る役者がいた。

そして、團十郎だけは若くても座頭になるのが当然とされていた。

代々の團十郎のなかには短命なものもいたが、初代、二代目、四代目、五代目、七代目、九代目はそれぞれ時代を代表する役者だった。

この「團十郎中心主義」を守るべき伝統とみるか、打破すべき因襲とみるかは、人それぞれだ。

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歌右衛門帝政という例外

明治になっても劇界トップは、「劇聖」とまで称された9代目團十郎だった。

しかし、1903年に9代目が亡くなると、62年に11代目が襲名するまで、「團十郎」を名乗る役者はいなかった。9代目には男子は生まれず、娘に婿養子をとったが、銀行員だったので、役者にさせるつもりはなかった。

9代目没後、この婿養子は一念発起して役者になるが、とても大成はできなかった。それでも没後、10代目團十郎を追贈される。

10代目夫婦には子が生まれず、9代目の弟子だった7代目松本幸四郎の長男が養子となって、11代目團十郎になる。以後は、海老蔵まで男系男子で続き、さらにその子の堀越勸玄まで数えれば4代にわたり続く。これは成田屋350年の歴史で初めてのことだ。

9代目没後の團十郎空位時代、劇界のトップにいたのが、5代目中村歌右衛門だった。歌右衛門帝政の始まりだ。

歌右衛門は政財界との交流もあり、財もなして代々木に3000坪の敷地の邸宅まで持っていた。

歌右衛門は1940年に亡くなり、以後は6代目菊五郎と初代吉右衛門の2人が舞台の上ではトップにあったが、実質的に劇界を支配していたのは、松竹社長の大谷竹次郎だった。

1962年に11代目團十郎襲名で59年ぶりにこの大名跡が復活し、劇界のトップになると思われたが、65年に急死した。

その前後から、父のいた劇界トップの座を虎視眈眈と狙っていたのが6代目歌右衛門で、團十郎の急死もあり、そのポジションは歌右衛門のものになり、第二次歌右衛門帝政が続く。

12代目團十郎は性格も穏やかだったようで、歌右衛門にとってかわろうなどとはせず、また同世代の菊五郎・白鸚・吉右衛門・仁左衛門たちのなかでは最年少だったこともあり、歌右衛門没後もトップには立たなかった。

しかし、海老蔵は、名実ともに「團十郎」を目指している。抜きん出ることを。

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