直木賞作家で、最新長編『鏡の背面』では第53回吉川英治文学賞を受賞した作家の篠田節子さん。実は20年以上、アルツハイマー型認知症の母親の介護をひとりで引き受けてきた。2017年11月からようやく施設にもお世話になれるようになり、ほっとしたのもつかの間、2018年3月に篠田さん自身の乳がんが発覚したのだ。

最新エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』は、介護中にがんになった篠田さんがどのように母の介護と自身の治療を並行させていったかを細かく記した一冊だ。篠田さんの冷静な視点と分析によるリアルな「今」の情報が、そこにはある。

発売を記念して数回にわたり、本書より抜粋掲載にてエピソードをご紹介する。
第1回は篠田さんが乳がんを告知されたときの話をお伝えしよう。

篠田節子さんインタビュー「20年以上の介護で知った『人間の記憶』が容易に『作られる』世界」こちら

病院からの電話に
「母に何かあったのではないか」

「○×クリニックですが、検査の結果が出ているんですが、これから来れますか?
ご家族と一緒にお願いします」
 
3月半ば、熱海名物の最中を買って従姉妹たち3人で、齧りながらそぞろ歩いていると、 携帯にそんな電話が入った。 
「今、旅行先なんで。来週の火曜日に診察予約してあるんですが」 
できるだけ早くお伝えした方がいいので、では明日の夕方5時でどうでしょう?」
 

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土曜日の夕方5時。医院の受付終了後だ。急を要するらしい。それに「家族も一緒に」 とくれば検査結果のシロクロはおのずと知れる。 「あー、はいはい。じゃ、明日うかがいます」
 
傍らで、夫を肺がんで亡くした従姉妹が青くなっているが、本人は至って呑気な返事をしていた。着信音が鳴ったとき、実は介護老人保健施設にいる母に何かあったのではないか、と一瞬、身構えたのだ。肺炎か、イレウスか、それとも騒ぎ出して手に負えないので連れ帰ってくれ、ということか。そうではなく、自分のことだったのでほっとしていた。

介護中は自暴自棄になる

自分の健康や生活、生命なんか、かまっていられない
 
意識しているか否かは別にして、多くの介護者に共通する心理状態だろう。それを「献身」と間違えてはいけない。疲弊した身体と精神が作り出す自暴自棄、判断力低下状態だ。ちょうどDVの被害者が今の痛みをやりすごせば済むと、まったく回避行動を取らないまま、虐待を受け入れるのに似ている。
 
それはともかく「がん」という言葉自体はすでに身近なものになっていた。5年前、たまたま取材のために受けた検査で甲状腺腫瘍が発見されていたが、父が交通事故に遭って亡くなったり、母の認知症が進んだり、といった諸々のことで検査がずっと先延ばしになっていたのだ。

昨年11月、母が介護老人保健施設に入所し、ふっと手が空き、ああ、そうだ、と紹介状を手に駒込にある内分泌系の専門病院に行った。1回目の穿刺の結果は、灰色。初めて我が身のことについて医師から「がん」という言葉が発せられる。 

「厳重経過観察。1ヵ月後に再検査」と言われ、宙ぶらりん状態にいた2月の初め、今度はブラジャーの右側乳首が当たる部分にぽつりと灰色のしみを発見した。
虫刺されの出血くらいのごくごく小さなものだが、頭に黄色いランプが灯った。

62という自分の歳を思った。もう決して若くはないが、死ぬにはやや早い。
 
加齢とともに細胞の正確な複製能力が落ちてくることを思えば、還暦過ぎの人間の体に五分五分の確率でがん細胞が存在するなど当たり前のことなのだが。
 
しみを発見した翌週、乳腺クリニックを受診。乳頭からの分泌物の検査結果が出て、いよいよ乳がんの疑いが強まり、針生検に進む。昔なら組織を切り取って検査に回したところだが、今はマンモトームという機械を用いて病変部分に針を刺し、組織を吸引して採取する。

針といっても直径3、4ミリはある太いものなので、局部麻酔をし、先生が画面を見ながら、えいやっ、とそれらしき部分を狙って刺す。その後、ズズズっという音とともに組織が管に吸い込まれる。もちろん麻酔が効いているから痛みはないが微妙な気分だ(ちなみに甲状腺穿刺の方は麻酔無しで針を刺されるので痛い)。
 
このマンモトームによる生検によって最終的に結果が出て、旅行先の熱海に電話がかかってきた、というわけだ。もちろん電話で結果を告げられることはなかったが、この時点で「クロ」は確定。