改革開放政策によって、中国の成長率は急上昇した。名目GDPの成長率は、70年代末から(98年から2000年を除けば)継続して10%を超えている。20%、30%を超えた年もあった。
鄧小平の工業化政策は、成功したわけだ。しかし、1989年の天安門事件の前までは、まだ本格な成長とは言えない。
世界経済における地位も、それほど高まったわけではない。世界の人々も、中国の成長をさほど注目したわけではない。
その大きな理由は、国営企業の存在だ。
上で述べたように企業家精神にあふれる民間企業が現われた分野もあるのだが、経済活動の多くが、国営企業によって支配されていた(上で見た企業を起こしたのも、国営企業や軍、ある胃は国の研究機関にいた人たちだ〉。これが変わるのは、90年代になってからだ。
なお、この時代から、中国の教育水準が上がった。
文化大革命の前半の期間には、大学入試は完全に停止された。後半には少人数の推薦入学だけが認められたが、国全体に学問不要論が蔓延していた。
高校卒業生の大学入試が正式に再開されたのは、1977年のことだ。
この恩恵をフルに受けたのが、80年代に産まれた世代だ。彼らは、「80后」(バーリンホウ)と呼ばれる。
「80后」は「1人っ子政策」が実施された後の「1人っ子」世代で、親と祖父母に大事にされながら育ち、大学入学規模拡大の恩恵を 受けて比較的楽に大学に進学した。
短大以上の高等教育を受けた者が4割、大学卒が19.4%に達した。
この時代に生まれた人々が、工業化に成功した中国を担っていくことになる。