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中国は「長い長い停滞」の後、いかにして大転換を遂げたか

本当の「新中国」発足は約40年前

中国は10月1日に建国70周年を迎えた。

しかし、新しい中国の出発点は、この時ではない。1970年代の末に、改革開放政策に大転換した時だ。市場経済制度を導入して生まれ変わった中国は、工業化を開始した。

 

他国との、どうしようもない実力差

明時代の鎖国主義が中国を没落させたと、「世界史が転換した中国明朝時代――巨大な先進文明を停滞させたもの」で述べた。

そうした中国人の世界観は、清の時代にも続いた。朝貢貿易を改めようとしなかったのだ。

自由貿易を求めて中国に赴任したイギリス大使ジョージ・マカートニーは、やっとのことで1793年、乾隆帝への謁見を許された。ところが、清朝は彼を従属国の朝貢使節として扱い、三跪九叩頭(三回跪き、九回頭を下げる)の礼を要求した。「中国には何でもあるから、貿易の必要はない」との考えだ。

しかし、現実には、産業革命に成功したヨーロッパとの実力の差は、どうしようもないほど広がっていたのだ。

アヘン戦争(1840-1842年)によって、中国は徹底的にうちのめされた。そして、ヨーロッパ諸国による植民地化が始まる。

さらに日清戦争で日本に敗れた。

内戦後に政権を獲得したのは、共産党だった。中華人民共和国は、分権的民主主義国家ではなく、官僚帝国だ。官僚帝国が続いた中国の長い歴史からみて見て、これは、ごく自然な流れだったと言える。

言い換えれば、この時に中国が大転換したとは言えない。むしろ、それまでの鎖国主義、官僚主義、反市場主義は強化された。

共産党独裁政権の下で、経済活動は、国あるいは国営企業によって行われた。国民の大半を占める農民は、人民公社に閉じ込められた。

「大躍進政策」は、1958年から1962年までの期間に、毛沢東が採った農業と工業の大増産政策である。これによってイギリスに追いつき追い抜くことが目的とされた。

フランク・ディケーター 、『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災1958-1962』(2011年、草思社)に、その惨状が描かれている。

農民は農作業から徴発され、無益な貯水池やダム建設のために手で土を掘る作業に投げ込まれた。土法高炉で鉄を生産したことにするため、調理器具や農具が押収された。当然の結果として農業生産は激減し、空前の飢餓が全土を襲った。

人々は、死んだ鼠、屋根葺き用のトウモロコシの茎、革の椅子などを食べつくしたあと、泥を食べた。そして、ついに人肉を食べた(死体を掘り起し、さらには家族間で子供を交換した)。

医療体制が崩壊したにもかかわらず、伝染病で多数の死者が出なかったのは、病原菌に侵される前に餓死してしまったからだ。これが「大躍進」の実態だった。

私は、「中国がこのような状態にあったために、日本が高度成長できた」と考えている。

1950年代に中国が工業化に成功していたら、日本の高度経済成長はなかっただろう。その意味で、毛沢東こそは、日本の大恩人なのだ。