「CO2を排出せずに」燃やすには…? 炎に魅せられた研究者が語る

カギを握るのは「純粋な酸素」
新版・窮理図解 プロフィール

家業を手伝い理系の道へ

──どんなお子さんだったのですか?

スペースシャトルなどのロケットが大好きな少年でした。ロケットが空に飛んでいく際に、エンジンから吹き出された炎がぼぉっと光って見えますよね。その迫力に魅せられて、興味を持つようになったのです。

打ち上げの際の炎が好きな子供だった Photo by NASA
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それから、テレビアニメや映画で人気になった『宇宙戦艦ヤマト』にも夢中になりました。戦艦自体がカッコいいし、やはり船尾の炎の部分がなんともいえず好きで……。今から思えば、当時から燃焼に興味があったのかもしれませんね(笑)。

その後、成長するにつれ、クルマや電車など、内燃機関の有無に限らず、メカ全般に興味をもつようになりました。

それから、父親が電気工事の会社を経営していて、よく現場に遊びに行かせてくれました。中学くらいからは現場で機器の取り付け工事や配線工事の手伝いもするようになり、自然と理系に染まっていきました。

子どもながらも責任感を持ってやっていたと思いますが、機械をいじるのは好きだったので、楽しみながら取り組んでいたように思います。

身体を動かすことも好きで、小中高は公立の学校に通い、小学生の頃はスイミングスクール、中学ではバスケット部、高校ではテニス部に所属していました。最近は忙しくてサボっていますが、基本的に体育会系なんですね。

一方、小学生の頃から学習教室に通い、そこで数学の問題を解く面白さに目覚めました。小学6年生の頃には、すでに大学の数学の問題まで進めていて、表彰されたこともあります。それでますます数学が好きになりました。僕は褒められて伸びるタイプなんですね(笑)。

親もわかっていたようで、「勉強しろ」と言われたことはありません。とにかく褒めて、子どものやる気を引き出して、自発的に勉強させていたのだと思います。

──数学科に進もうという気はなかったのですか?

当時はまだ、大人になって何をしようかと考えたことはなかったですね。将来を意識し始めたのは高校3年になってからでしょうか。

父の仕事の影響で、電気工学科か機械工学科に進めたらいいなぁ、と考えていました。浪人も覚悟していましたが、無事、慶應義塾大学理工学部に合格し、機械工学科に進学しました。

朝も夜も。燃焼研究にのめり込む

──どんな大学生活を送られたのですか?

高校までは部活中心の生活でしたが、大学に入ってからはガラリと意識が変わって、勉強中心の生活を送るようになりました。

1年生の頃はテニスサークルに所属していましたが、課題のレポート作成で徹夜することも多く、片道2時間かけて埼玉の自宅から通っていたので大変で……。結局、1年生の途中で体を壊してしまい、サークル活動は諦めました。

でも、友人に恵まれて、互いに切磋琢磨しながら勉学に励んでいたので、勉強自体は苦ではありませんでしたね。友人たちは皆優秀で、私を含めて4人中3人が博士課程に進んだほど。もちろん、勉強だけでなく、一緒に遊んだり、成人してからは、週末ごとに飲んで過ごしたのは、今となってはいい思い出です。

──なぜ、燃焼の研究に進まれたのですか?

燃焼の研究をされている溝本雅彦先生の研究室を見学した際に、先輩たちから話をお聞きして、興味をもったのがきっかけです。研究室に入ってからは、燃焼の魅力にすっかり取りつかれて、研究にのめり込んでいきました。

横森剛先生
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研究室には博士課程の先輩が5〜6名いらしたのですが、先輩方の研究に取り組む姿勢にも刺激を受けたんでしょうね。その頃には学校の近くに下宿をしていたので、昼夜を問わず研究に没頭していました。

燃焼の研究というのは、実に奥が深いのです。たとえば、燃焼の事象をシミュレートしようとすると、流体、熱、物質の拡散、化学反応といったさまざまな要素を同時に解く必要があり、対象によってはスーパーコンピューターを使っても1ヵ月以上かかります。基礎理論の構築にもまだまだやるべきことがあるというのが、燃焼の基礎研究の面白さといえます。

「世界が広がる」研究室でのポスドク生活

じつは修士課程のときに、企業に就職して研究職に就くことも考えたのですが、しだいに基礎寄りの研究をしたいと思うようになり、博士課程に進むことにしました。進学の話を両親にした際は、経済的な理由もあって父は反対しましたが、奨学金を受けることができたので、最終的には賛成してくれました。

その後、2003年9月から東北大学でポスドクとして働き始めたのですが、ここでの経験が大きな転機となりました。