燃え盛る炎。立ち込める熱気。微かに聞こえる物音が出産の様子をうかがわせるが、熱風に阻まれて中を覗くことはできない。数時間ののち、子供は三人産まれた。ホデリノミコト、ホスセリノミコト、ホヲリノミコト、みな無事だった。

そう、無事だったのだ。コノハナノサクヤヒメは疲労困憊した身体と、汗にまみれた頰が熱くなるのを感じていた。それが焼け跡に燻る炎のせいなのか、出産という類を見ない重労働のせいなのか、それとも高ぶる感情によるものなのかは、誰にもわからなかった。

※以上、物語の要約。

相手をおもんぱかる気持ちが皆無

「神に向かってなんだその口の聞き方は!」と怒られるかもしれないが、どうしても言いたいことがある。ニニギノミコト、ぼさっとしていないで家を建てている間にコノハナノサクヤヒメを止めてほしい

私は妊娠も出産も未経験だが、もし臨月の友人が産屋のドアを塗り固め、薪をくべていたら、その時点で「!!???」となり、制止するだろう。さらにその原因が自分にあり、振り切ってでも火をつけようとしていたとすれば、とりあえず土下座してやめてもらうだろう。だって危ないではないか。

『古事記』では、サクヤヒメがスパークしはじめてから、ニニギの存在感は一気に薄くなる。それまでは台詞も詳細に書かれていたのに、エピソードの終盤では描写さえ割愛されている。彼は何を考えていたのだろう。

ニニギには「普段と異なる、しかも大抵の場合、予測し受け入れることが困難で、極めて負担の重い状況にある人をおもんぱかる」という視点がない。皆無である。

まるで、目の前のパートナーが心を持った人間 (彼らの場合は神だけど) だと思っていないかのようだ。