10月 8日 藤ノ木古墳から人骨と副葬品が発見(1988年)

科学 今日はこんな日

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この日、奈良県生駒郡斑鳩町、法隆寺の西方にある藤ノ木古墳から人骨と副葬品が出土し、古代日本と大陸との関係を探る手がかりとして注目を集めました。

「藤ノ木古墳」という名称は、所在地の字名からとられていますが、古文書類では「ミササキ」あるいは「陵山」と記されており、この古墳が天皇、または皇族クラスの有力者を埋葬した陵墓であると見なされていたことがうかがえます。

高さ約7.6メートル、最大径約40メートルありますが、発掘調査の結果、径約50メートル、高さ約9メートルの円墳であったものが、少しずつ削り取られていたものではないかと考えられるようになっています。

発掘調査は、1985年から2006年にかけて6次にわたって、斑鳩町教育委員会や奈良県立橿原考古学研究所により行われました。第3次調査にあたる1988年の発掘調査では、馬具などのさまざまな副葬品とともに、2体の人骨が発見されました。

それまで未盗掘であった家形石棺に収められた遺体は、その石棺内での安置場所から、北側被葬者と南側被葬者と呼ばれ、2体とも男性のものと考えられています。2人の遺体を納めるには少し狭い石棺内に最初に安置されたのは、北側の人物だったと考えられ、主埋葬者でないかと考えられています。南側被葬者は、北側被葬者の残った空間に、体をやや斜めに納められていました。

石棺内には、大量のベニバナのものと思われる花粉が残されていました。ベニバナは染料として用いられることが多く、遺物中の赤色の繊維からも検出されていますが、防腐剤の機能も持っていることから、2人の遺体の保存を願う処置を行われた可能性もある、とのことです。

なお、藤ノ木古墳では1995年11月に石棺き損事件が起き、文化財保護について再検討の必要性を迫られました。同年の阪神・淡路大震災の影響なども考慮し、周辺地域とあわせ整備事業が進められています。

藤ノ木古墳現在は史跡として整備された藤ノ木古墳 Photo by PhotoAC