photo by Getty images

世界を支配する「少数派」が利権の温床となる「これだけの理由」

関電事件の背景をよく考えてみよう

最大多数の最大幸福は民主主義でも実現できない?

民主主義の目指すものといえば、いくつかの議論はあるだろうが、「最大多数の最大幸福」が極めて重要なテーマの1つであることは異論がないであろう。

もちろん、少数派(マイノリティ)を蔑ろにすべきではないが、どのように少数派に配慮すべきなのかということも、議論を尽くしたうえで、最終的には「最大多数」の考えが尊重されるのが当然といえよう。

「それでは少数派の意見がないがしろにされることになる」という意見もあるだろうが、9月21日の記事「エリートも知識人も、これからは『嘘をつく人』が真っ先に淘汰される」の中で述べたように、科学的実証実験によって「ハイハイする幼児でも他人を助ける」=人間の善意は本能であることが分かっている。

もちろん、その記事の上部に書いているように「5歳までには嘘をつくことを覚える」のも事実だ。より詳細に言えば、3割くらいの子供が2歳くらいまでに嘘をつき、7歳までにはほぼ100%の子供が嘘をつくのだが、「善意」が本能であるのに対して「嘘=悪意」が学習によって後天的に身につくことは重要だ。

ちなみに、早く嘘をつき始める子供ほどその後の発達が早いから、エリート層に正直者が少ないのは不思議では無いが、国民全体で考えれば本能である「善意」が勝るはずだし、そう願う。だから、民主主義においては「多数派の善意」を信頼し、「多数決の原則」は死守すべきである。

 

かつて、何人かの野党議員が、多数決での採決を「強行採決だ」と喚き叫んで否定するという愚行を行ったが、多数決を否定するのは民主主義を否定するのも同然である。少数派が十分意見を述べることができるように、委員会や国会があるのだから、「審議拒否」などというのは自らの権利を放棄することに等しい。

自分の少数意見が通らないから、暴力で政府を打ち倒すというのは共産主義(共産党が少数派政党の場合、一般的に暴力革命を肯定する)の手法だが、これは民主主義に敵対するやり方である。

しかし、世界中を見渡せば、残念ながら日本や先進諸国のような民主主義を採用している国はそれほど多くない。

世界の多くの国々で、少数の独裁者が実権を握り「最大多数の最大幸福」が実現されず、民主主義を採用する国々でも「一部の利権集団」が強大な権力を持つのはなぜか?

それを解き明かすためには、アダム・スミスの「国富論」(筆者書評参照)で述べる「同業組合」の多大なる弊害について考えなければならない。