10月 4日 ドイツのM・プランク没(1947年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

ドイツの物理学者で量子論の創始者の一人として知られるマックス・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck、1858-1947)が、名誉総裁を務めたマックス・プランク研究所本部のあったドイツの中部の街、デッティンゲンで亡くなりました。

【写真】マックス・プランク
  マックス・プランク photo by gettyimages

プランクには、2人の息子と双子の娘がいましたが、長男は第一次大戦中に戦死しました。次男は、ヒトラー暗殺事件に加担したことで、ナチス政権に拘留され、後に処刑されました。

また、カイザー・ウィルヘルム協会の会長を務めていたプランクは、ナチスのユダヤ系科学者の追放に反対して、会長職を辞職しました。その後も、亡命をせずにドイツに留まったことで、不遇の時代を過ごしました。

戦後、カイザー・ウィルヘルム協会の名誉総裁として、戦争により混乱し、打撃を受けた協会の再建に腐心しました。このことを受けて、あらたに協会の運営を引き継ぎ、改組された研究所は、彼の名を冠してマックス・プランク研究所と名付けられました。

激動の時代の中、困難に満ちた生涯の終わりに、ようやく落ち着いた研究生活を送ることができましたが、それはほんの2年ほどのことでした。

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