オムツ替えもできないのに「イクメン」?

この点に関連して私は、「イクメン」や「カジメン」という言葉の使われ方を懸念している。確かに現在、これらの言葉が定着し以前より男性の家事育児が注目されるようになってきている。それ自体は望ましいことである。しかし、これらの言葉の現在の使われ方は、平等を目指す男性を低いレベルで満足させ、その歩みを止める同調圧力としても作用してしまっている。

先日、一時帰国した際、大学時代の知人(男性)数人とランチをしたのだが、その時に外資系の企業に勤める一人が1歳の子供をベビーカーに乗せて現れた。他の知人達が「イクメンやってるねー」と褒める中、彼は食事の間も英語教育を始めたことなど育児について雄弁に語っていたのだが、突然「やべっ、うんちした」と言い残して帰ってしまったのだ。うんちのオムツ替えができなかったのである。

家事や育児を通して私は、自分の中に染みついた男尊女卑の潜在意識から脱却し、平等に向かうことの難しさを日々痛感している。例えばオムツ替えもできないようなレベルで満足していては、その遥か先にある平等の達成など夢のまた夢である。

日本社会のジェンダー観の遅れは深刻だ。当り前だが、この解決には個人また社会レベルで男性側の意識の改善が必須である。しかし、社会にはそれを防ぐ圧力として社会的に優位な立場にある男性がその優位性を保ちたくなるような様々なアメが用意されている。今回紹介した家事育児をする男性への不平等な称賛などはそのアメの典型であるが、私たち男性にとって大事なのは、そのようなアメに釣られず、客観性を保ち改善する歩みを止めないことである。