言うまでもなく、これらの極端な不平等は日本に残る偏ったジェンダー観に起因している。男性は仕事をし、女性は家事育児をして家庭を守る。この役割が「普通」という意識が、家事育児をする男性への必要以上の称賛につながり、女性への過小評価につながるのだ。そしてそれは時に、女性への不条理な批判へと発展する。

私の妻が受ける批判の中で特に多いのは、「旦那さん大変だね」という遠回しなタイプのものだ。「夫に大変な思いをさせ自分だけ好きなことをする妻」という構図に当てはめられ、友人から親族まで様々な方面から苦しめられている。実際には私は妻から大変な思いなどさせられておらず、逆に自分の足りない部分から大変な思いをさせてしまう側に立っていると感じている。しかし外からは、夫へ一方的に負担をかける妻という不平等な見方がなされてしまうのだ。

平等を目指す妻の孤立化

このような「平等が生む不平等」現象がやっかいなのは、この現象が夫婦が平等を達成していなくとも、平等に向かう行動を何か少し取っただけで起こってしまう点だ。このことは夫婦が平等へ近づくのを妨げるだけでなく、妻を孤立化させる危険がある。

例えば、夫が少しは家事育児をするものの、実質的には全然足りないという家庭は日本ではまだ多いと思うが、そのような状態にもかかわらず、自分の親、場合によっては夫の親から、「あなたの夫は家事育児に協力的ですばらしいのに不満に思うなんてわがままだ」「夫にばかりやらせてないであなたもちゃんとしなさい」などと次元の違うことを言われてしまうと、家庭の状況を改善するための味方がいないくなってしまう。

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同様の妻の孤立化は職場でも起こりうる。例えば仕事中に子供が熱を出したが保育園の迎えなどの対応を夫がした場合に、職場から「(夫にやらせてまで)無理に仕事しなくてもいいよ」などと言われてしまうと、たとえ言う側に悪意がなかったとしても、夫にもっと家事育児を分担してもらいたいと不満を持つこと、またその先にある男女が平等に働くことは、この社会では許されないのかと絶望してしまう。