オフィスラブ大国・日本、会社で「出会う」率が世界でダントツなワケ

労働問題と表裏一体だった
西口 想 プロフィール

きっかけは、二つの経済危機

ただ、70年頃まではアメリカやフランスなど海外の先進国でも、サラリーマン+専業主婦+子供という核家族がモデル世帯となっていた。事情は日本とそう変わらない。では、なぜ日本だけが「オフィスラブ」大国のままなのだろう。日本と海外の分かれ目は、1970年代前半に訪れる。

世界経済は70年代前半、ドル・ショックとオイル・ショックという二つの経済危機に見舞われた。当然、日本経済も大きく影響を受け、未曾有の高度経済成長はそこでストップしてしまった。その時、経営難に陥った日本企業がとった戦略の一つはリストラだ。

〔PHOTO〕iStock

雇用の調整弁となったのは、終身雇用が約束されていない女性労働者だった。その影響で、1975年には女性の平均労働力率は戦後最低となる。なかでも最も離職したまま求職(再就職)しなかった層が、当時25~29歳の団塊の世代の女性たちだと言われている。彼女たちは結婚に活路を見出し、専業主婦化したのだ。そのため、見かけ上は失業率の上昇も抑えられた。

だが、高度成長は終わり、それまで倍々に増えていた男性労働者の昇給は鈍化した。夫の給料だけでは苦しくなった団塊世代の専業主婦たちが、家計を助けるために「パート主婦」として労働市場に本格的に出ていくのは、彼女たちが30代後半になる80年代以降である。現在問題になっている正規・非正規間の格差はこの頃から始まった

 

共稼ぎが進んだ欧米と、遅れた日本

一方、70年代以降の世界不況に対して、欧米諸国はそれぞれ別のアプローチで対処した。

有名な例はオランダのワーク・シェアリングだ。オランダでは構造的な不況による需要低迷に対して、80年代以降、賃金の抑制+時短と雇用確保+減税を政労使で合意して乗り切ろうとした。そのために必要となったのが、フルタイム社員とパートタイム社員の間の賃金・休暇・社会保障などでの均等待遇である。

これが功を奏し、オランダは80年代に10%近かった完全失業率が下がり、夫婦共稼ぎで世帯所得を従来の1.5人分とする「1.5モデル」が確立したと言われている。国も、育児・介護支援の充実で緩やかな共働きをサポートした。

重要なのは、この時期は教育・労働などでの男女平等を求める第2波フェミニズムの時代でもあることだ。75~85年は、国連が主導した男女差別撤廃キャンペーン「国際婦人の10年」にあたる。日本の最初の男女雇用機会均等法(85年)はこの最終年にすべりこむ形で成立したが、欧米各国では女性の働く権利の保障、性差別の禁止がもっと着実に進んでいった。

日本は対照的に、男性は滅私奉公的な長時間労働によって、女性は結婚退職と非正規化によって世界不況を乗りきり、結果的に「会社」への依存を深めていった。国全体で働き方のジェンダー・ギャップや会社と私生活の関係をアップデートするための重要な機会を逃したのだ。

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