画像:中国郵政・鄭和航海600年記念切手

かつて先進文明だった中国が「長い停滞」から抜けたとき、起きること

私たちは世界史の転換点にいる

中国の歴史が停滞したのは、個人や個人企業がリスクを取ってフロンティアを拡大する仕組みがなかったからだ。いまそれが変わろうとしている。これは、きわめて重大な変化だ。

 

明の時代に成長が止まった

中国は、人類の長い歴史を通じて世界のトップにいた。しかし、ある時点から落伍した。

歴史の転換点はいつだったのか?

多くの歴史家によれば、それは、明の時代だ。

経済学者であるグレン・ハバードとティム・ケインによる『なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで』(日本経済新聞出版社、 2014年)は、つぎのように述べている。

歴史家のアンガス・マディソンが示したデータを見ると、明朝の頃に中国の成長が止まった。人口は増大したが、人口1人あたりのGDPが増えなくなった。1400年代以降の中国では、水準の変動がなくなった。

「明時代の早期に何か決定的なことが起きて、中国の運命を変えたのだ」と著者たちはいう。

経済学者のアンガス・マディソンが収集した新しいデータと著者らによる経済力の測定法を用いると、1700年のイギリスを100とした場合の中国の経済力は、つぎのように変化した。

1000年で52、1500年で163、1600年では375。つまり、1600年の中国は、100年後のイギリスの4倍近い経済力をもっていたのだ。ところが、1700年では218になった。この時点でもまだ同時代のイギリスより3倍近い経済力をもっているが、1600年代に転換点があったのは明白だと、著者たちは言う。

ここで、以上で述べたことと、9月24日公開の「かつて中国は株式会社を持たなかったがゆえに没落した」で述べたことの関連について注記しておこう。

前回では、ヨーロッパの成長が大航海以降に加速したことを述べた。つまり中国落伍の原因は、ヨーロッパ側にあるという見方だ。これは、多くの人が認める歴史的事実である。

『大国はなぜ衰退するか』も、西欧の生産性が上昇したことは、もちろん認めている。実際、「19世紀前半までに、ヨーロッパの平均所得は中国の2倍の水準に達し、そのころ始まった産業革命によってこの差はさらに加速度的に開いていった」と述べている。

ただ、それだけではなく、中国の成長があるときに止まったことを重視しているのだ。

では、この時に何が起きたというのか?それは、対外政策だという。

これを以下に見よう。