「日本車は素晴らしい。
でも不便なプジョーに乗りたくなったんだ」

でも待てよ、足ることを知らないエネルギーには、プラス面もあると思う。日本人特有の、もっともっとと際限なく広がる欲望が、物欲に突き進むから問題なのであって、別方向にすすんだとしたら、むしろ歓迎したい。たとえば、これでもかこれでもかと迫る技術革新にしても、そうした私たちの欲望の表れにちがいないから。

親友のエリックは、大のクルマ好き。私たちが知り合う以前の80年代、彼はニッサンのセドリックに乗っていた。フランスの日本車輸入規制のために、当時のパリではニッサンが手に入りにくかったので、彼はわざわざベルギーに買いにいったほどだ。次に彼が選んだクルマは、トヨタの高級車セルシオである。日本車を知る以前のエリックは、メルセデス一筋だった。そしてセドリックに乗りかえたとたん、彼はすっかり日本車にはまってしまったのである。

私に会うたびに彼は、クルマの話題だけで通した。そのころの私が乗っていたミニ・クーパーなんて前世の遺物と、彼はさかんにののしった。エリックは私の顔を見ながら、ただただいつも日本車を絶賛する、このように。

「素晴らしい、ヨーコ。日本のクルマは世界一だね。ボクが望んでいることを知っているみたいだ。窓の外に手を出さなくてもサイド・ミラーが動くし、オイル交換もないにひとしい。ブレーキは自動制御だから、オートルートでは、居眠りさえしなければいい。前方の安全確認も完璧で、車間距離までチェックしてくれるクルマなんて奇跡だ。おまけに燃費もいいし、これではメルセデスもルノーもかなわないよ」

セドリックをセルシオに乗りかえてからも、エリックの日本車びいきは続いた。日本の高級車が盗まれやすいと聞いて、駐車場までの距離が遠くなるのもものともせず、パリで一番安全なパリ警視庁の地下のパーキングを借りた。そのころ私はミニ・クーパーをやめて、はじめてフランス車のルノーにかえていた。そして久しぶりに会ったエリックが、私の予期しないことをいったのだった。

「今、なにに乗っていると思う? プジョーですよ。日本車は実によかったけれども、ボクは卒業したんだ。なにもかもオートマチックで、はじめはそれが嬉しくもあったんだけれども、もういい。バカンス先で借りたクルマがマニュアルだったから、初日はちょっとギクシャクしましたよ。だって15年間もマニュアル車に乗っていないのだから。ところがですよ、慣れたらそれが面白いのよ。まるで自動車の教習所に通いはじめたときみたいにね。分かるかな、ヨーコ。日本車は素晴らしいと今でも評価するけど、不便なプジョーに乗りたくなった

パリの町でよくみかけるプジョー。手間がかかることが楽しい、そういう気持ちもわかる Photo by iStock

やれやれ、先端技術が魅力でなくなったら、日本車のメリットはどこにあるだろうか。マニュアルのよさといわれたら、とどまるところを知らない技術革新の行方はどうなる。

フル・オートマチックの日本車に二度までも浮気したエリックだったが、やはり彼はフランス人。よれよれのくたびれたバッグでも、まだ使えるという彼女たちがいる国の人だったのである。

お金がなくても平気なフランス人、お金がなくても不安な日本人』日本が大好きだから、そしてフランスも大好きだから、そのいい所を思う存分真似したら、もっと幸せになるんじゃない? 底抜けに明るく優しく、かつ鋭い視点をもつ吉村葉子さんが20年間のフランス生活を振り返ってまとめたエッセイ集。考え方ひとつで不幸だと思っていたことも幸せになるし、人生は楽しくなる! その中から厳選したエッセイを特別に今後も限定公開予定。お楽しみに!