日本の宅配便は素晴らしすぎる

モノを送るにも、安くて早く確実な宅配便は、市民生活の必需品だ。フランスの友人たちが日本の宅配便を知ったら、まちがいなく感動する。そして次にきっとこういうにちがいない。

「宅配便のお兄さん、どうしてそんなにお客に小さくなって、どうしてそんなに夢中に働くの。そもそも、どうしてそんなに急いで届けなくてはならないモノばかりなの」

よくよく考えれば、そんなに急ぐ必要もない。宅配便はありがたいけれども、なくてもすんでいた時代もあったのだから。もっと早く、もっと早くとせかしせかされる気持ちが、私たちにはあるようだ。

もっと早くとか、もっとたくさんとか、もっともっとは欲張り日本人の十八番だ。ルーヴル美術館にいけば、すみからすみまで泰西名画を鑑賞しないと気がすまないし、パリにいったからにはエッフェル塔に登らないと気がすまない。パリでのことだけでなく、わが国でもたしかに私たちは勤勉だ。残業をしてまでも、自分に課せられた仕事を終わらせないことには、気がすまないのだから。ものごとを徹底してやらなくては気がすまないという、この遂行心はいったい、なんなのだろう。

「せっかく行ったんだから見てみたい」という気持ちはとても素敵なことだけれど、詰込みだとつらくなる Photo by iStock

パリジェンヌたちの持っているバッグはどれも、
そうとうくたびれている

パリを訪れる日本のお嬢さんたちが、シャネルやエルメスの大きな紙袋をかかえてはホテルに入っていく姿を見て、私の友人は日本にはいいバッグがないのと聞いた。

ご主人の誕生日プレゼント用の名刺入れを買いに、サン・ジェルマンにあるルイ・ヴィトンのブティックにいった私の親友のマダムは驚いて、こうもらした。

「どうして日本人は、一度にたくさんのモノを買うの。バッグをいくつも買って、お財布を買って、小物入れも買ったのよ、私の前にいたマダムは」

そういわれてみれば私たちは、フランス人よりもモノをたくさん持っている。カトリーヌ・ドヌーヴやパトリシア・カースならいざ知らず、おしゃれでは定評があるパリジェンヌでさえ、そうたくさんのモノは持っていない。

それからというもの私は、パリジェンヌたちに会うたびに、彼女たちが持っているバッグを観察してみた。
そうして出た結論は、彼女たちの持っているバッグはどれも、そうとうくたびれているということだった。くたびれている……。それは私たち日本人なら、とっくに使わなくなっているほどくたびれていた。やはり私たちは、パリジェンヌたちよりもハンドバッグをたくさん持ちすぎているのはたしかだ。

もっと欲しい、もっともっとという飽くなき物欲に突き動かされて、私たちはブランド品をいくつも買う。というと物欲の権化のようで、いやらしくなってしまうが、事実だからしかたがない。私はちがうという人でさえ、パリジェンヌよりはたくさんのバッグを持っているはずだ。