蛮勇か?敵地に着陸して焼き討ち…日本海軍一の名物男「波瀾の人生」

その活躍は絵本の題材にもなった
神立 尚紀 プロフィール

敵機を「着陸してやっつける」

零戦に大敗を喫し、重慶の空から姿を消した中華民国空軍は、さらに奥地の成都に後退して戦力の回復に努めていた。10月4日、零戦8機をもって、成都の敵戦闘機を攻撃することになり、横山大尉以下、前回の出撃で選に漏れたA班の搭乗員を中心に、編成が組まれた。羽切さんも、横山大尉の二番機として出撃することになった。

 

出撃前夜。漢口基地の搭乗員宿舎で、4人の搭乗員がひそかに話し合いを持っていた。この宿舎は、日本軍による占領前は監獄として使われていた建物で、雑居房ごとに数名の搭乗員が起居している。酷暑の漢口で、窓のない監獄部屋は暑くてたまらず、毎日、冷房用の大きな氷柱が支給されている。この夜、集まったのは東山市郎空曹長、羽切松雄一空曹、中瀬正幸一空曹、大石英男二空曹。いずれも横空から十二空へ、零戦とともに転勤してきたA班の搭乗員たちである。羽切さんは語る。

「出撃の前の晩にこの4人が集まって、初空戦はB班に譲ってしまったが、明日は成都一番乗り、徹底的にやろうじゃないかと話し合いました。大石が、『もし撃ち漏らした敵機があったら、飛行場に着陸してやっつけよう』と言い出し、皆、即座に賛成しました。マッチとぼろきれと拳銃を用意して、敵機に火をつけようという算段です。そして、着陸時にもし転覆したりしたら、2人で尾部を持ち上げたら助けられるという約束までしていました」

肝心の横山大尉がこの計画を知っていたかどうか、羽切さんは、

「相談はわれわれ4名だけでやりましたが、おそらく東山空曹長が横山大尉に相談していたと思います。たぶん知っておられたんじゃないでしょうか」

と、横山大尉の関与をほのめかす。

敵中着陸のアイディア自体は、昭和13(1938)年7月18日、南昌攻撃で艦上爆撃機の小川正一中尉、小野了三空曹らが敵飛行場に着陸、地上にあった敵機を焼き払った例があり、羽切さんたちも成功を信じて疑っていなかった。

「上空は味方機が制圧しているし、敵は戦意をくじかれているし、よし、行ける、と思っていました」

昭和15年10月、第十二航空隊の戦闘機搭乗員たち。2列め(椅子)左から東山市郎空曹長、白根斐夫中尉、進藤三郎大尉、飛行長時永縫之介少佐、司令長谷川喜一大佐、飛行隊長箕輪三九馬少佐、横山保大尉、飯田房太大尉、山下小四郎空曹長。3列め左から2人めより中瀬正幸一空曹、山谷初政三空曹、岩井勉二空曹、光増政之一空曹、高塚寅一一空曹、北畑三郎一空曹、大木芳男二空曹、大石英男二空曹、羽切松雄一空曹、三上一禧二空曹、小林勉一空曹、杉尾茂雄一空曹、有田位紀三空曹。後列右から2人め角田和男一空曹
上の集合写真より、成都の「敵中着陸」の4名と横山大尉を拡大。右上より時計回りに、羽切松雄一空曹、大石英男二空曹、中瀬正幸一空曹(以上3名飛行服)、東山市郎空曹長、横山保大尉

10月4日午前8時30分、漢口基地を出撃した零戦8機は、途中、中継基地の宜昌で燃料を補給、成都に向かった。この日は高度3000メートルほどのところに雲が層をなしており、零戦隊は偵察機の誘導のもと、雲の上を飛行した。

午後2時15分、成都上空に到着。横山大尉は空中に敵機の姿なしと判断して地上銃撃に入ったが、そのとき、羽切さんは、ふと左前方に敵のソ連製戦闘機、ポリカルポフE-16(И-16を、日本海軍、中国空軍ともにこう呼んだ)を発見した。

「敵機だ!と、間髪をいれずにそいつに突進しました。距離200メートルまで肉薄して、敵機を照準器に捉え、ダダダーッと一連射。命中! 敵機はたちまち火を吐いて墜ちていきました。20ミリ機銃の威力はすごい、と思いましたね。あとで横山大尉が、『いやあ、羽切、あれはうまく墜としたなあ』と絶賛してくれましたよ」

この調子ならだいぶ獲物にありつけそうだ。羽切さんは上空を見渡したが、もう敵機はいなかった。作戦通り、温江飛行場を偵察したが、そこにも敵機はいない。機首を転じて太平寺飛行場上空に突入すると、そこには飛行機が約20機、翼を並べているのが見えた。

零戦隊はそれぞれの目標に向かって、入れかわり立ちかわり銃撃を加えた。零戦に装備された20ミリ機銃は、こんな地上銃撃の際にも絶大な破壊力を発揮した。

「ふと下を見ると、飛行場に零戦が1機、スーッと降りていくのが見えました。私はそのとき、空戦の興奮で昨夜の約束のことなど、すっかり忘れていました。こりゃいかんと思って、飛行場上空を一周して着陸しましたが、大石、中瀬に続いて私は三番目でした」

羽切さんは、飛行場の真ん中に飛行機を停めると、風防を開いて地面に飛び降り、拳銃を手に、引込線に向かって脱兎のごとくに走った。燃え上がる敵機からの火の粉があたり一面に降りそそぎ、熱気が飛行服を通して肌が焼けるように感じられた。

「約100メートル、時間にしたら30秒ほどでしょうか。やっとの思いで敵機に取りついてみると、それは巧みに偽装された囮機でした。えい、いまいましい、と、他の獲物を探そうとしたら、周りをバン、バンと狙い撃ちの曳痕弾が飛んでゆく……と思ったが、いま思えば、燃える敵機の機銃弾が弾けて飛んでいたのかも知れません。敵兵の姿はまったく見えなかったですから」

身の危険を感じた羽切さんは、やおら立ち上がって愛機に向かって全力疾走、ふたたび離陸したのは4機のうち最後になった。攻撃後は高度3000メートルで集合の約束になっていたので高度をとると、3機の機影が見えた。

「脚が出たままの姿だったので、『敵飛行場に着陸した仲間が、脚を入れるのを忘れてやがる』と思いながら近づいてみると、それは味方機ではなく、敵のカーチス・ホーク75M戦闘機(アメリカ製の低翼固定脚戦闘機)でした。よしきた!と思いながら、敵が気がついていないのを幸い、死角の後下方から40~50メートルの距離まで接近し、右端の二番機に一撃すると、そいつはあっけなく左に傾いて墜ちていきました。残る2機も、2対1なのに逃げるばかりで向かってこない。それを追いかけて、ようやく田んぼのなかに1機を撃墜しましたが、私にとっては思いがけない戦果となりました。結局、単機で、いちばん最後に基地に戻りました」

この日の戦果は、撃墜6機、地上炎上19機に達した。