舛添要一×適菜収「れいわ新選組とN国が『大躍進』した本当の理由」

ヒトラーは現在日本で甦るのか
舛添 要一, 適菜 収 プロフィール

「個人」と「大衆」

舛添 その答えは、拙著『ヒトラーの正体』に詳しく書きましたが、大きな要因の一つは経済対策です。

第一次大戦の責任をドイツはベルサイユ条約によって負わされました。多額の賠償金と再軍備の禁止が課されたドイツは、経済状況が落ち込み、インフレも留まることをしらない。パンの値段が一日で倍になるような状況のなか、国民の不満は溜まっていきます。

そうした不満を経済対策などによって解消したのがヒトラーだったんです。

高速道路アウトバーンの建設などを通じて、公共事業を創出したことは有名ですね。600万人いた失業者を、政権を獲ってたった3年で完全雇用に近い状態までもってきたことは功績と言ってもいいでしょう。ベルサイユ条約で、多くの領土をとられ、自尊心も傷つけられていた国民にとって、ヒトラーは救世主に映ったことでしょう。

今年はヒトラー生誕130年〔photo〕gettyimages

適菜 仰るように経済的な要因はとても大きいと思いますが、なぜワイマール体制でナチスみたいなものが生まれたかという疑問に即せば、むしろワイマール体制だからナチスが出てきたという側面もある。まずはこのあたりから考えていきたいと思います。

ナチスの独裁は、きわめて近代的な現象です。近代革命により階層社会やギルド、村落共同体が崩壊した結果、社会的紐帯は消滅し、人々は自己を喪失してしまう。

 

舛添さんのこの本でも紹介されていたエーリヒ・フロムの『自由からの逃走』には「自由は近代人に独立と合理性とをあたえたが、一方個人を孤独におとしいれ、そのため個人を不安な無力なものにした。この孤独はたえがたいものである。かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの 二者択一に迫られる」とあります。

近代は判断の責任を引き受ける「個人」と同時に「大衆」を生み出した。彼らは、共同体から切断され、不安に支配された人々です。彼らは自由の責任に耐えることができない。そして、自分を縛り付けてくれる権威、疑似共同体を求めるようになる。この「大衆」が存在しなければ、全体主義は発生しません。

舛添 そうですね。

適菜 前近代的な専制と独裁は違います。専制は前近代において身分的支配層が行なうものであり、独裁は近代において国民の支持を受けた組織が行なうものです。つまり、暴君が上から下に向かって権力を振るうのではなく、上と下が一体化し、大衆運動として、全体主義は進行していきます。