元夫との同居は3ヵ月だけ

子どもは無事生まれ、元夫は約束通り育休を取った。しかし、義実家との関係はぐちゃぐちゃで、修復の努力は空回りばかりの元夫に、もはや古賀さんは尊敬も信頼もなくしていた。

「結局、元夫と同居したのは彼が育児休暇を取り、長野に来て親子3人で暮らした3ヵ月間だけでした。元夫が東京に戻ってからは、実母や保育所の助けを借りつつ子育てをし、ロー・スクールに通いながら勉強を続けました。卒業直後の初試験には残念ながら落ち、その次の年もダメ……」

そんな浪人中、古賀さんは当然ながら元夫と同居して受験勉強を続けるつもりで、引っ越しの段取りを進めていた。ところが途中で、元夫が「同居することに不安がある」と言い出した

「え、何それ、どういうこと? ――そこが元夫のずるいところなんですけど、じゃあ、どうする、どうしたいって言わないんですよ。彼は、月1回くらいではありましたが私や子どもに会うために長野に来ていたし、私も以前のような気持ちではないもののすっかり愛情がなくなったというわけではなかったので、戸惑いました。

そんなときに、東日本大震災があったんです。私自身、特別な被害を受けたわけではなかったのでこんなことを言うのは不謹慎かもしれないけれど、ああ、人生いつ終わるかわからない、後悔しないように生きようと思いました。それで、私から離婚を申し出ました」

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深い協議ができないまま、引っ越しの段取りは進んでいたのでやむなく同居を開始した直後、離婚届を用意すると、あっさり提出することができた。親権も、3年間ほぼ母子家庭状態で暮らしていたこともあって、もめなかった。司法試験の直前だったこともあり、ほとんど会話はなく、試験が終わった後、養育費と面会交流について簡単に話をして再び別居となった。

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「一度、元夫が『養育費は払わない』と言ったことがあったため、協議が難航したこともありましたが、いざその時点では離婚後も父子関係を続けていきたい気持ちになっていたのか、養育費を払っていく提案がありました。とはいえ、元夫が出ていき、行き先もわからないままで私はシングルマザーとなり、いよいよ追い詰められていました。(新)司法試験は受験回数制限によって3回しか受けられないこともあり、最後のチャンスを、シングルマザーという追い詰められた状況で神頼みで挑んだ3回目の試験で、なんとか合格を果たしました。子どもは4歳になっていました」