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ソ連の鬼才ピアニストが人生を賭けて行きついた、音楽の「奇跡」

アファナシエフ「最後」の大作を聴く

亡霊とともに生きるピアニストがいる

レコードをかける。その瞬間に、当の音楽家がもういないということは考えない。これから会いに行く相手について、生きているのかどうかなどと思う必要があるだろうか。

 

ところが、クラシック音楽のディスコグラフィーを築く演奏家の大半が、実際はとうに聴き手の生きる世界にはいない。彼らの記録も記憶も、「巨匠演奏家の時代」の墓碑として、大きく過去に属している。しかし、現代において、彼らの遠大な影の先を歩むようにして、ひときわ孤独を究めていくことになった演奏家も稀にはいる。

亡霊たちとともに生きるうちに、生者とも死者ともつかないような独特の相貌をまとったピアニスト、たとえばそれがヴァレリー・アファナシエフである。

1947年に生まれ、生地の名門モスクワ音楽院で、ヤーコフ・ザーク、そして生涯をかけて敬愛するエミール・ギレリスに師事し、ブリュッセルのエリーザベト王妃コンクールで優勝後、74年にベルギーに亡命した。

学生時代から日本の古典文学への関心を憧憬のように抱くアファナシエフは、1983年にギドン・クレーメルとのデュオで初来日してからというもの、長くとも3年以上は空けず、日本での演奏会とレコーディング活動を重ねてきた。

過去の芸術の遠大で重厚な深み、真摯な創造や狂気との対峙から逃れるように、当世の音楽家の大半が快適な機能美を着こなす方向にあることに厳しく逆らいながら、アファナシエフはひたすら自らの信奉する重大な深刻さにそって生き延びてきた。

旧ソ連から出たインテリの鬼才、というような言葉でしばしば型押しされるほどに、頑なにその地歩を譲らなかったのは、彼にはそれより他の道がなかったからである。

ヴァレリー・アファナシエフ(撮影:森清)

彼の内心に燃えるのは、敬愛する芸術家への忠誠と、素直なまでの畏敬だった。書くことへの情熱、思索への信頼が、音楽家としての想像力に意味的な奥行きを与えたところも多分にある。しかし第1に、いまも音楽を聴こうとする者にとって、ヴァレリー・アファナシエフは傑出したピアニストなのだ。

自らの墓標を目の前に、なお輝く音楽

その偉才が6枚組の大作をまとめるプロジェクトに取り組み、またそれを『テスタメント』と呼ぶことにとり憑かれていた。アファナシエフは同作をこの世界への告別だと言い、彼の最後の遺志と語り、後世へ託す彼の人生の証言なのだと称する。あたかも芸術の危機的情況を嘆き続けてきた者の、現世への最後の貢献である、とでもいうかのように。

事実、アファナシエフは70歳を超えて、いまさらながら生き急ぐように、これら6枚のディスク録音に挑んだのだった。ドイツ、フィアゼンのフェストハレで、2017年4月下旬と7月上旬のそれぞれ3日間で、1日にアルバム1枚ずつをレコーディングしていった。「私は非常にはやく録音する」と当人も自負していたが、まったく驚くべき効率である。

その間の5月にブリュッセル郊外の彼の家を訪ねたとき、アファナシエフは「われわれには時間がない」と深刻な顔で言っていた。長年の信頼から「ドリーム・チーム」と呼ぶスタッフと、個性的な調律師の所有するベーゼンドルファー・インペリアルで録音するには、とにかく急がなくてはならないのだと。

録音セッションを自らオーガナイズした彼の「最後の録音になるだろう」という思いは、現況への悲嘆や危惧だけでなく、実際的な事情や演奏技術への自信を含めたものでもあった。そうして、生き急ぐ者としてのアファナシエフは、過去からの蓄積を、率直なかたちで現在に解き放った。

しかし、CDを一聴すれば知れるように、アファナシエフのこれらの『証言』はその実、ずいぶんと生き生きとした挨拶ではないか。いままでにないほど、死や永遠よりも、過去よりも現在を生きて、彼自身の生と音楽の生命に傾斜している

不思議なことに、それがシニカルにも、アイロニカルにも響いてくることがない。きわめて率直で、素直な音楽の感動がそこにあるからだ。自ら築く自身の墓標を前にして、明朗に微笑みかけるようですらある。

音楽はここでは、アファナシエフにとって使命や責務である以上に、溢れ出す情熱に他ならず、情熱は生きることでしか活かされない。もはやそこには、消えかけた蝋燭の最後の燃焼、という気配すら感じられない。端的に言うなら、これら愛する音楽作品を演奏するピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフはきわめて健全と言ってよいほどに元気なのである。