追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」

「生きていても、意味がないから」

まずは、先日亡くなった「金ピカ先生」こと佐藤忠志さん(享年68)のご冥福を心からお祈りしたい。

我々は8月末日、「かつて一斉を風靡した人びとに、近況を尋ねに行く」という趣旨の取材で佐藤さんのもとを訪れていた。佐藤さんは快く応じてくれたが、かつてから変わり果てた生き様には、「人生とはいったいなんだろうか」と、深く考えさせられるものがあった。追悼の思いを込めて、その日のことを振り返る。

取材・文 齋藤剛(『週刊現代』記者)

 

時代の寵児を探し求めて

最近、金ピカ先生見ないね」「何年か前に選挙出ていたけど、いまなにをしているんだろう」きっかけは、そんな会話だった。

いまやタレント予備校講師といえば、「いつやるの? いまでしょ」のフレーズでブレイクした林修先生(54歳)の印象が強い。だが一定以上の世代からすると、真っ先に思いつくのは、やはり「金ピカ先生」だろう。

派手なスーツに18金の腕時計や、ネックレスというまるでヤクザのような出で立ち。教室に愛用の日本刀を持ち込むパフォーマンスは、いまの時代なら問題視されたに違いない。

しかし、強面なイメージとは裏腹に緻密で論理的な英語指導もあいまって、予備校文化全盛の1980年代当時は絶大な人気を得た。テレビにもひっぱりだこで、Vシネマでの役者デビューに加え、秋元康氏のプロデュースでCDまで発売。佐藤さんは、まさに時代の寵児だった。

2009年には「金ピカ先生」の届出名で鹿児島県西之表市の市長選に突然出馬して話題を呼んだものの、落選。以来、めっきり姿を見かけなくなっていた。

日本の予備校文化隆盛の立役者の一人である先生に、当時の思い出話と近況を聞きたい――。そういう思いから、残暑が続く8月下旬の午後、都内にある自宅を訪れた。
 
駅周辺の再開発が進むエリアにポツンと残る、2階建ての古びた一軒家。表札はあるが、インターホンは故障しており、誰かが住んでいる気配はまったく感じられない。だが、2階にふと目をやると、窓が開いている部屋があった。

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