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カエサル、数に勝る敵を用兵巧みに打ち破る

【5分de名著】カエサル『ガリア戦記』訳:國原吉之助 ④
「講談社学術文庫」がおとどけする名著チラ読み連載、『ガリア戦記』は今回が最終回です(前回はこちら)。アリオウィストゥスとの交渉は合意に至らず、いよいよ戦端が開かれようとしていた。屈強で数も勝る敵軍に、カエサルはいかにして対峙するか?紀元前58年の遠征はクライマックスを迎える!

いよいよ最高潮

46 対談中このようなやり取りが交されていたとき、カエサルのところへ、アリオウィストゥスの騎兵が塚にだんだん近づき、わが軍に向かって馬をおし進めている、石や投槍をわが軍に放っている、との知らせがもたらされる。

 カエサルは話し合いを打ち切り、味方のところへ戻ると、「けっして敵に投槍を投げるな」と部下に命じた。もちろん選り抜きの軍団兵と敵の騎兵との合戦では、何の危険もあるまいと考えた。けれども敵が撃退されたとき、自分らはカエサルを信じたばっかりに、対談中、彼から包囲されてしまった、などといいがかりをつける機会を、相手に与えてはならぬと思ったのだ。

 アリオウィストゥスが、会談中、いかに横柄な態度で、ローマ人にガリア全土への立ち入りを禁じたか、敵の騎兵が味方に攻撃をしかけて、それがどのように対談をぶち壊したか、などの経緯が、一般兵士の間に広く知れわたると、兵たちの士気はいちだんと鼓舞され、闘魂はいよいよ煽られた。

47 次の日、アリオウィストゥスは、カエサルのところへ使者を送ってくる。「われわれ二人の間で討議されだし、まだ決着を見ていない問題について、予はカエサルと話し合いたい。再び対談を開くため、日時を定めてくれるか、もしそれがいやなら、カエサルの総督代理のうちから誰か一人でも、予のところへ送ってほしい」と。

 カエサルは、対談しても成果があるとは思えなかった。それも前日、アリオウィストゥスがゲルマニア人を制御できなくて、わが軍に飛道具を投げさせていたので、なおさらであった。だからといって、総督代理を一人彼のもとへ送り、野獣のごとき人間の前に投げ出すのは、非常に危険なことだと考えた。

 いちばん妥当と思われたのは、ウァレリウス・カブルスの息子、ウァレリウス・プロキッルスを、アリオウィストゥスの個人的な知遇を受けていたメティウス49と一緒に、彼のところへ送ることであった。プロキッルスの父は、ウァレリウス・フラックスによってローマ市民権を与えられていた。本人のほうは、立派な勇気と教養を身につけた青年で、その誠実な人柄のため、またガリア語を知っていたため──アリオウィストゥスは長い間にガリア語に慣れて、上手に使いこなしていた──それに、ゲルマニア人が彼に不正を働く動機はないと思って送ったのである。

 カエサルはこの二人にたいし、アリオウィストゥスが述べることをよくのみこんでから、戻ってこいと指示を与える。アリオウィストゥスは、二人が陣営にはいってきて、前に立ったと見ると、自分の部下の居合せる前で「何しに予のところへやってきたか。さては密偵のためか」と、荒声で叫び、何かいおうとした二人の言葉を封じて、鎖にかけてしまう。

48 同じ日のこと、アリオウィストゥスは、陣営を前進させ、カエサルの陣営から六キロ離れた山の麓に陣地を築いた。その翌日、彼は軍勢を連れ、カエサルの陣営を通り越え、三キロも先に陣営を設置する。敵の魂胆は、セクアニ族やハエドゥイ族からカエサルのところまで輸送されてくる食糧や軍需物資を、遮断することにあった。

 カエサルはその日から五日間ずっと、陣営の前に軍団を連れ出し、もしアリオウィストゥスが合戦を求めたら、いつでもその機会を与えてやれるようにと、戦列を敷いたままにしていた。アリオウィストゥスは、この間、主力を陣営の中に閉じこめたまま、毎日騎馬戦で張り合った。

 ゲルマニア人が日ごろから訓練していたのは、次のような戦法である。騎兵は六千いた。それに同数の敏捷で勇猛な歩兵がついていた。

 つまり一人一人の騎兵が、自己を護るために全軍より一人ずつ歩兵を選び出していた。騎兵はこの歩兵とともに、戦闘に臨み、いつでも歩兵のところへ戻っていた。騎兵の形勢が不利となるや、いつでも歩兵は援助に馳けつけた。騎兵が重傷を受け落馬すると、歩兵たちが周囲を取り巻いて庇った。

 どこへでも、遠く進まねばならぬときとか、素早く退却せねばならぬとき、歩兵は馬のたてがみを握りぶらさがったまま、馬に後れをとらずに走れるほどの敏捷さを、訓練によって身につけていた。


(49)「メティウス」Metius MSC, Mettius LO, Maecius K.なお「ウァレリウス・フラックス」は、八三年のガリア属州総督。総督は、原住民の奉仕にたいし、ローマ市民権を与える権限をもっていた。こうして新しくローマ市民となった原住民は、市民権を与えてくれた総督の個人名と氏名を借り、それまでの名を家名として保存するのが慣例であった。総督ガイウス・ウァレリウス・フラックスから、名を借り、ヘルウェティイ族(七巻65節)のカブルスは、ガイウス・ウァレリウス・カブルスと名のる。父子の家名の違うのは他家の養子となったものか?