『水戸黄門』2019年版を見て「昭和からの大変化」にびっくりした件

入浴シーンもこんなに変わった
堀井 憲一郎 プロフィール

44部の黄門さまで特に気になったのは、旅を急いでいたところである。

どこかの宿場町で引っ掛かるたびに、黄門さまは、急ぐ旅ですが、しかたありませんな、と言う。

これは設定であって、第一話で八戸の武士が殺され、彼の使命を果たしてやろうと黄門さま一行は八戸へ向かっている。できれば早く八戸へ着きたいという設定なのだ。

だからといって、いちいち「急ぐ旅ですが」と言うのがとても不思議である。

見ていて、落ち着かない。

なんか奇妙に世相を反映しているように見えた。

ほんとなら「急がぬ旅じゃから」と、そこかしこにのんびり寄り道して欲しかった。

急がぬ旅、というのは、もはや時代劇のなかにさえもなくなってしまったのかもしれない。そういうことを示唆されているようで、気ぜわしくなってしまう。なんか残念だ。

 

偉そうすぎて、なんか変

昔と変わらぬ設定も、いま見ると奇妙に感じてしまう。

黄門さまがとてつもなく偉いということ、身分を隠していた人が先の副将軍だとわかるとどんな悪い連中でも跪いて頭を下げること、この「権威の高さ」がとてもわかりにくいのだ。わからないというか、実感しにくい。

「1980年代からさんざん水戸黄門を見てきた者」としても「2019年に見る新作の水戸黄門」が新鮮である。新鮮というのは共感しにくいということであり、よく意味がわからないということでもある。

前の副将軍さまだとわかって、その権威には平伏するというのがあまり納得できない。

「偉そうすぎて、なんか変」とおもってしまったのだ。

黄門さまが偉そうなのは、本当に偉いから、である。そうとしか説明されない。まあ、だからこそ悪役顔の人が似合っていたんだろうな、とあらためておもう。石坂浩二の黄門さまはたしかに説得力がなかった。武田鉄矢の顔でもやはりすこしやさしさが勝ってる感じがする。

2019年の日本の空気を吸って生きてるかぎりは、黄門さまのような「何の根拠も示されない圧倒的な権威」が想像できない。そういう時代になったのだ。そもそもドラマでも偉さの根拠は印籠である。印籠って、画数が多いから立派そうに見えるけど、もともとは印鑑入れで、のちにクスリなどを携行するための容れ物となったものだから、あっさりいえばピルケースである。なんか模様の入ったピルケースを示されて、平伏しなされ、と言われても、令和の日本人は誰もひざまずかない。