2019.09.23
# 戦争

1枚の写真が語るドラマ…のちの大女優が若き零戦搭乗員に託した思い

出撃直前に手渡したマスコット
神立 尚紀 プロフィール

ともに歌った「同期の桜」と「若鷲の歌」

そして昭和20(1945)年8月15日、日本の降伏によって戦争が終わった。生き残った者たちは、焦土となった日本で、それぞれに新たな人生を歩み始める。森光子にマスコットをもらった吉田勝義は、終戦のその日まで本土上空に来襲する敵機と戦い、復員後は故郷・兵庫県城崎郡香住町(現・美方郡香美町)で漁網会社に勤めた。自衛隊発足時にはパイロットとして再三の勧誘を受けたが、

「飛行機に乗るのはもういい」

と、断り続けている。その後、会社の移転にともない鳥取県に転居し、自らの戦争体験をほとんど語ることなく戦後を送った。

 

二〇二空飛行隊長だった鈴木實は、トラック運転手を経て、伝手を頼ってキングレコードに就職し、営業本部長、洋楽本部長、常務取締役を歴任。春日八郎の「お富さん」をヒットさせ、大月みやこを見出し、さらにカーペンターズやローリング・ストーンズといった海外アーティストを日本に紹介、いずれも大ヒットさせている。

二〇二空飛行隊長だった鈴木實。戦後はキングレコード常務取締役となり、芸能界に幅広い人脈をもっていた

昭和52(1977)年、鈴木のもとへ、NHKからある企画がもたらされた。8月13日に放送する「第9回思い出のメロディー」で、司会を務める森光子が、戦地で慰問した将兵と再会するサプライズを演出したいというのである。鈴木は快諾し、連絡先のわかる元隊員たちに声をかけた。分隊長だった塩水流(しおずる)俊夫大尉をはじめ、普川秀夫、八木隆次、増山正男、長谷川信市、大久保理蔵、そして吉田勝義という、かつての歴戦のパイロットたちが、生放送の当日、東京・渋谷のNHKホールに参集した。

「はじめ、舞台に上がるだけでいいという話だったのが、せっかくだから森光子と一緒に当時の歌を歌ってくれ、ということになって、楽屋裏で藤山一郎さんが歌唱指導をしてくれました。こっちは勝手がわからんもんで、言われるがままに。藤山さんがあれこれと気を遣って世話をしてくださったんで、助かりましたよ」

と、吉田は振り返る。本番が始まり、ステージに上がった鈴木隊長以下、二〇二空の8名の元零戦搭乗員は、34年ぶりに森光子と涙の再会を果たし、「同期の桜」(西条八十原詞、大村能章作曲)、「若鷲の歌」(西条八十作詞、古関裕而作曲)をともに熱唱した。

それからさらに22年の歳月が過ぎ、平成21(2009)年5月9日、森光子が主演する舞台「放浪記」が、2000回の節目を迎えた。いくつかのテレビ局が特集番組を組むなかで、フジテレビの関東ローカル番組「チャンネルα 今夜放送!森光子密着 笑いと涙の放浪記裏側」(5月15日、14時7分より放送)が、森光子の戦地慰問と、「第9回思い出のメロディー」で二〇二空の隊員たちと再会したことについて触れている。森光子と再会した8名のうち、7名がこのときまでに鬼籍に入り、唯一健在だった吉田勝義がテレビカメラの前でインタビューを受けた。

最後まで女優として燃焼し尽くした森光子は、平成24(2012)年11月10日に亡くなり、吉田勝義も平成30(2018)年9月13日に世を去って、令和になったいま、「Ⅹ空常設劇場」の慰問公演を見た隊員は、もう一人も残っていないと思われる。ときの流れは非情で、ある意味、戦争よりも確実に人の命を奪う。

だが、当事者がいなくなっても、一枚の写真は、見方によってはさまざまなことを私たちに伝えてくれる。家庭のアルバムに何気なく貼られている写真も、後世、もしかすると貴重な時代の証言者として日の目を見ることがあるかもしれない。

(文中敬称略)

関連記事