2019.09.23
# 戦争

1枚の写真が語るドラマ…のちの大女優が若き零戦搭乗員に託した思い

出撃直前に手渡したマスコット
神立 尚紀 プロフィール

慰問公演を楽しんだ隊員の大半は戦死

慰問団は、さらに各地の巡業を重ね、11月22日、ふたたびケンダリーに戻って、「Ⅹ空常設劇場」で公演を行った。二〇二空飛行隊長・鈴木實少佐(のち中佐。1910-2001)の回想――。

「片やニューギニアで米軍機と戦い、一方ではベンガル湾に英国艦隊が出没し、オーストラリア本土から飛来するB-24爆撃機による味方基地への空襲も激しくなって、戦況が急に悪化してきたのが肌で感じられました。昭和18(1943)年11月中旬には、南西方面艦隊司令長官・高須四郎大将より、インド東部のイギリス軍拠点だったカルカッタを、陸軍航空部隊と合同して空襲せよとの命令がくだりました。『龍一号』作戦です。海軍からは二〇二空零戦隊、七五三空陸攻隊が全力で参加することになりました」

11月22日、東南アジアやニューギニアの各基地に分散配備していた零戦隊をケンダリーに呼び戻し、カルカッタ空襲の準備が始まる。慰問団の公演が行われたのは、ちょうどこの日のことだった。再び鈴木少佐の話。

「その慰問団に女優の森光子がいたんです。指揮所前で、慰問団と二〇二空幹部で集合写真を撮ったんですが、ぼくは、役得を生かして森光子を隣の椅子に座らせた。森光子は『18歳です』と、自己紹介しました。いま思えば、じっさいには23歳だったようですが……。指揮所に掲げられた木の看板は、通常、司令・岡村基春中佐の名をとって『海軍岡村部隊指揮所』、司令が内田定五郎中佐に交代した後は『海軍内田部隊指揮所』と記されていますが、機密保持のため、記念撮影のときには裏返して『海軍戦闘機隊指揮所』と書かれた面を写すことになっていました」

上写真・二〇二空士官の集合写真。指揮所の看板は司令の名をとって「海軍岡村部隊指揮所」となっている。下写真は、森光子らの慰問団と二〇二空士官の集合写真。上写真と同じ場所での撮影だが、民間人と撮るときは機密保持のため看板を裏返し、「海軍戦闘機隊指揮所」と書かれた面を表に出した
集合写真より拡大。左から2人め森光子、3人め(ヘルメット姿)鈴木實少佐

このとき、森光子に一目惚れしたのが、零戦隊分隊長として着任して間もない梅村武士大尉である。梅村大尉は、

「森光子のブロマイド写真が欲しかったが、全部配ってしまってもうないと言われ、がっかりした」

と、手記に書き残している。

慰問公演の翌11月23日、カルカッタ攻撃に向け、鈴木少佐の率いる二〇二空零戦隊の全機がケンダリー基地を発進した。

 

この出撃は、特別に秘密を要求された。というのは、東南アジア全域から零戦が1機もいなくなったことを敵に悟られては一大事だからである。二〇二空の搭乗員は、ふだん半袖半ズボンの白い防暑服の上に飛行服を着ているが、このときは中継地で外出しても戦闘機隊だと悟られないよう、全員が草色の第三種軍装の上に飛行服を着用することを指定された。

零戦隊は、途中立ち寄ったバタビアで2泊、25日にシンガポールのテンガ飛行場に着陸し、そこで陸軍部隊との打ち合わせを行なった。ところが、ここまで来て、「龍一号」作戦はいったん中止される。11月21日、中部太平洋ギルバート諸島のマキン、タラワに米軍が上陸、数日後には両島ともに占領され、太平洋の戦況に緊迫の度が増したためであった。七五三空の陸攻の大部分が太平洋にまわされることになり、インドの英軍拠点を攻撃するどころではなくなったのである。二〇二空零戦隊も、ふたたびバタビア経由でケンダリーに帰された。

カルカッタ攻撃は12月に入って再開が決まり、12月5日、別の部隊によって実施されたが、この攻撃は一度きりの単発で終わる。

マキン、タラワを手中におさめた米軍は、太平洋で一大攻勢に転じてきた。そのため、二〇二空零戦隊は中部太平洋の要衝・トラック島に移動、連日のように押し寄せる米軍の大型爆撃機と戦った。続いてニューギニア北西部のビアク島に侵攻してきた米上陸部隊を迎え撃ち、さらにペリリュー島、ヤップ島、グアム島と転戦した末に壊滅状態に陥り、昭和19(1944)年7月、フィリピン・ミンダナオ島のダバオ基地まで引き揚げたところで解隊される。「Ⅹ空常設劇場」で慰問公演を楽しんだ隊員の大半が、その間に戦死した。

戦況の悪化にともなって慰問団も前線を離れ、シンガポールで昭和19(1944)年の正月を迎えた。森光子はこのとき、基地の施設で、日本軍が占領したとき接収したディズニー映画の「ダンボ」、「ファンタジア」、そしてハリウッド映画の「風と共に去りぬ」を見て、カラー映画の映像美に圧倒されたという。森はこのとき受けた衝撃について、

〈『こんなに心を打つすばらしいものを作っている国と戦っているなんて、これじゃあ戦争に負けるわね』と言い合ったものでした。〉

〈戦争は敵への憎悪をかりたて、鬼にさえ見たてました。でも鬼がディズニーのような素敵な映画をつくれるはずもない。〉

と、『人生はロングラン』のなかで回想している。

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