2019.09.23
# 戦争

1枚の写真が語るドラマ…のちの大女優が若き零戦搭乗員に託した思い

出撃直前に手渡したマスコット
神立 尚紀 プロフィール

「ただ自然に涙がにじんできました」

日本陸海軍はともに、前線で戦う将兵の士気を高めるため、「恤兵」(じゅっぺい)を重視、陸軍省、海軍省それぞれに「恤兵部」を置いていた。「恤兵」とは、現代では耳にすることもなくなった言葉だが、民間から金品を募り、慰問品や映画などの娯楽品、嗜好品を戦地に送ったり、芸能人や文化人による慰問団を派遣して、将兵に楽しみを与え、戦争を側面から支援することを意味する。映画など、一般公開版とは別に恤兵用に編集されたものがあり、内地の映画館ではカットされて見ることのできなかった濃厚なラブシーンなども、戦地では上映されていたという。

海軍省恤兵部が派遣した、森光子が参加する慰問団が、東南アジアを巡業したのは、昭和18(1943)年10月から12月にかけてのこと。慰問団は総勢24名で、そのなかに歌手として森光子が加わっていたのだ。

森光子著『人生はロングラン 私の履歴書』(日本経済新聞社)によれば、このときのメンバーは、歌手・松平晃、林伊佐緒、松竹少女歌劇団の田村淑子、天草みどり、三田照子、浪曲の天中軒月子、太神楽の鏡味小鉄、それにコミックバンドのハットボンボンズといった顔ぶれであった。

慰問団は昭和18(1943)年7月、かつて太平洋航路の豪華客船として活躍、開戦直前、運送船として海軍に徴用されていた「浅間丸」に乗って神戸港を出港、シンガポールで現地部隊の慰問公演を重ねたのち、ボルネオ島バリクパパンから船でセレベス島マカッサルに渡る。ここでオランダ統治時代から営業しているホテルを接収、改称した「富士ホテル」をベースに、ボルネオ島、セレベス島、チモール島、ジャワ島、バリ島など各地の海軍基地を回った。

東南アジア要図。赤丸印右から左へ、ラングール、ケンダリー、マカッサル、バタビア。慰問団はボルネオ島やバリ島、チモール島クーパンも巡回した

二〇二空の本部が置かれたケンダリー基地には、「Ⅹ空常設劇場」と名づけられた屋外舞台があった。「Ⅹ空」とは、二〇二空の零戦の垂直尾翼に記された部隊記号がⅩであることからつけられた略称である。野外ゆえ数千人の収容が可能で、この年5月には、「酒は涙か溜息か」(高橋掬太郎作曲、古賀政男作曲)、「丘を越えて」(島田芳文作詞、古賀政男作曲)などの大ヒットですでに一流の人気歌手だった藤山一郎(1911-1993)もここで歌ったことがあり、前線基地としては由緒ある舞台であった。

昭和18年5月、ケンダリー基地を慰問に訪れた藤山一郎一行と二〇二空の士官たち。2列め左より飛行隊長・鈴木實少佐、司令・岡村基春中佐、藤山一郎。前列右から2人め、分隊長・山口定夫大尉

森光子らの慰問団が、ケンダリーの「Ⅹ空常設劇場」で最初に公演を行ったのは、10月6日のことである。吉田勝義一飛曹はこの日、派遣されていたオーストラリア本土に近いケイ諸島のラングール基地からケンダリー基地に移動を命じられ、1000キロを超える飛行ののち、ケンダリーに帰ってきたばかりだった。

隊員の多くは、出演者一人一人の名前を知らない。ましてや当時無名に近い森光子を知る者などほとんどいなかった。だが、白い襟のついた紺のワンピースを着た森光子が、「愛国の花」(福田正夫作詞、古関裕而作曲)、「タイの娘」(菊池一夫作詞、林伊佐緒作曲)「ブンガワンソロ」(インドネシア歌曲、グサン・マルトハルトノ作曲)を熱唱すると、殺伐とした前線基地の、そこだけに花が咲いたような美しさであったという。一曲が終わるたび、やんやの大喝采が起こった。

 

続いて、森が、高峰三枝子のヒット曲「湖畔の宿」(佐藤惣之助作詞、服部良一作曲)を歌いだすと、観衆はみなシーンと静まり返った。しみじみと聴き惚れ、なかには涙を浮かべている者さえもいる。内地では、感傷的すぎて戦時下にふさわしくないと、歌うことを自粛させられた「湖畔の宿」だが、前線の将兵は、軍歌のような勇壮な歌よりもむしろ、こんな郷愁を誘うセンチメンタルな歌のほうを好んだ。最後は慰問団全員で手拍子をとっての「撃滅ぶし」(作者不詳)で締める。

公演写真の森光子の部分を拡大

吉田一飛曹は、長距離の移動飛行の疲れが出て、慰問公演が終わるのもそこそこに搭乗員室に戻って眠りについた。

〈英国東洋艦隊(戦艦四隻、空母一隻)ベンガル湾に向かう〉との急報に出撃命令が発せられ、森光子が発進直前の吉田にマスコットを渡したのはその翌日のことである。

森光子は、戦後、このときのことを、

「どんな作戦かも、どこへ出撃するのかもわかりません。ただ、彼らはお国のために死ぬのだと聞かされていました。ニュース映画のように手を振ることもなく、深くお辞儀をしてお見送りしました。胸がつぶれる思いで、泣くというのでもなく、ただ涙が自然ににじんできました」

と回想している。

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