異なる者同士は、歩み寄れる

異類婚姻譚では、女性か男性のどちらかが、一方的に相手に影響を与えることが多い。例えば「猿婿入り」では猿が娘を連れ去ろうとし、娘が猿を殺す。「蛤女房」や「うぐいす女房」では夫が妻の正体を見てしまい決別する。「天人女房」では男が天女の羽衣を盗んで人間に変えてしまう。女性と男性は、あるいは人間と人ならざる者は歩み寄ることができない。異なる者同士は分断されるしかない

そんなセオリーに抵抗するように、まどかと山本は曖昧なままでハッピーエンドを迎える。

「CLASSY. 2019年10月号」より

地面に伸びる山本の影にはまだ尻尾が残っている。本質はまだ狐なのだ。田螺長者(たにしちょうじゃ)や一寸法師のように、まどかの働きかけによって山本がパッと人間に変身することもない。山本はまどかを自身の成長のための装置にしない。父親という自分の持つリソースを生かし、徐々に人間に変わろうとしている。

そして、まどかも最後まで人間のままだ。彼女が「普通」であることが私は嬉しい。強い力も特別な能力も持たないまどかが、「現世(仕事)にしがみつく大義名分があるわけでもないだろう」「女は自分を犠牲にしてでも恋を選ぶだろう」と軽んじられ、狐に変えられてしまわない。

彼女は自分の足で失踪した山本を探しに行くし、「里帰りをしよう」と提案する。自分を保ったまま、異世界への足がかりを半歩だけ残している

昔話に登場する「人ならざるもの」は、人間を脅かすもの、不可解なものの象徴だ。かつてその正体は自然災害や暗闇、病気などだった。しかしそれらが科学とテクノロジーによって少しずつ解明されつつある今、私たちが立ち向かうべき「不可解なもの」は一体なんだろう。

結婚とは、女とは、男とは、こうあるべき——。そんな、誰かにいつのまにか用意された、納得できない不可解なもの。

まどかが立ち向かったものは、社会だった。女性は守られるべき受け身な存在であるべき、男性側の「家」に入って相手の色に染まるべき、という家父長制的なジェンダー観、結婚観だった。

人々が「不可解なもの」と折り合いをつけるために生み出し、語ってきたものが昔話だとすると、私たちが社会と対峙しながら奮闘する様子は、最新の昔話だと言える。私たちが毎日を生きて、語り継いでいった物語がいつか昔話になるのだ。

来月はどんな物語が「CLASSY.」で語られるのか、楽しみである。