Photo by gettyimages

大量の自殺者を出した「ノモンハン事件」敗北のヤバイ真相

現在の日本型組織の弱点がわかる

「腹きり」を躊躇しない

ノモンハン事件(1939年5月11日~9月16日)は、当時の満州国とモンゴルの国境地帯で起きた地域紛争だ。日本にとっては、日露戦争(1904~'05年)後、初めての本格的な近代戦争だった。

日本・満州連合軍対ソ連・モンゴル連合軍の間で展開された戦闘であったが、実質的には日本軍とソ連軍の戦いだった。この戦いで日本軍は壊滅的な打撃を受けた。

擱座したソ連戦車の前を匍匐前進する日本兵([Photo]wikipedia パブリック・ドメイン

〈10日あまりの戦いで、ノモンハン事件の帰趨は決した。関東軍第二十三師団はその7割が損耗し、事実上、壊滅した。ソ連側の死傷者数は2万5000人、一方、日本側は2万人。死傷者数ではソ連の被害が甚大だが、作戦目的を達したのはソ連だった。関東軍はソ連・モンゴルの主張する国境線の外に完全に追いやられたのである。

ノモンハンを勝利に導いたジューコフは、その翌年、大将の称号を与えられた。スターリンにも謁見が許され、ジューコフは日本軍についてこう報告した。

スターリンとはこれまで会ったことがなかったので、私は強く興奮して引見にのぞんだ。(中略)スターリンはパイプたばこを吸いつけながら直ちにたずねた。

 

「君は日本軍をどのように評価するかね」

「われわれとハルハ川で戦った日本兵はよく訓練されている。とくに接近戦闘でそうです」と私は答え、さらに「彼らは戦闘に規律をもち、真剣で頑強、とくに防御戦に強いと思います。

若い指揮官たちは極めてよく訓練され、狂信的な頑強さで戦います。若い指揮官は決ったように捕虜として降らず、『腹切り』をちゅうちょしません。士官たちは、とくに古参、高級将校は訓練が弱く、積極性がなくて紋切型の行動しかできないようです(後略)」(『ジューコフ元帥回想録』)

乏しい装備で物量に優るソ連軍と対峙し、最善を尽くした現場の兵士たちに対し、軍の中枢を担う将校たちは己の面子を守ることに汲々とし、敵の姿はおろか、自軍の姿さえ見えてはいなかった。

日本軍は己を知らず、敵を侮り、無謀な作戦を実行に移した。祖国から遠く離れた辺境の地、ノモンハンで、無数の日本兵が命を落とした。その遺骨は、いまも風雨にさらされたまま残されている〉

兵士や下士官はよく訓練され、優秀で、現場指揮官も責任感が強いが、幹部が無責任で紋切り型の思考しか出来ないというのは、日本陸軍が官僚化してしまったからだ。