私たちは「ポジティブであること」を、絶対視していいのだろうか

こころの「良さ」とは何だろう
小塩 真司 プロフィール

「これさえあれば」の落とし穴

では、最初の問いに戻ろう。「これさえあればよい」という考え方は、何をもたらすのだろうか。

第1に、それらをもたない人々の排除である。

どのような心理学的な特性であっても、それをより多くもつ人とより少なくもつ人が存在する。心理学ではこのような概念を測定して統計的に示すのだが、多くの心理的な特性はもっとも低い得点から最も高い得点までの数直線で表現される。そして、中央付近に多くの人がおり、両極端な人は少ない。

このような得点の分布を示すことから、全員が望ましい特性を一律に持つことは不可能だということがわかる。そして、ある特性をもつことだけが成功に結びつくと考えられると、それをもたない多くの人々は社会の中で生きづらくなることを意味する。

第2に、効果の薄い対策である。

心理的な特性を訓練によって伸ばすことができるかどうかは、難しい問題である。心理学者ですら、「これをすれば勤勉性が伸びる」「これをすれば知能が伸びる」と断言することは難しい。何かをすれば何かは変わるのだろうが、特定の特性だけを狙って伸ばすことなど可能なのだろうか。

たとえば、自尊感情だけを伸ばしてナルシシズムを伸ばさないようにすることは、なかなか困難に思える。そもそも、ダイエットと同じように心理的特性に即座に変化が現れるようなものでもない。このような状況は、「こうすればできるできる」という効果が不明瞭な各種の対策を生み出すことになり、それを求める人々がそこに不要な投資をすることになりかねない。

そして第3に、本質的ではない対策である。

心理的な特性そのものを変容させることは簡単ではない。しかし、もうひとつの対処方法がある。それは、テストの対策だけをすることである。たとえば、本当の意味で知能を伸ばすことは簡単なことではない。そこで、とにかく知能検査の結果だけを伸ばそうとすることになる。そして、検査に用いられる問題の対策に注力する。

もちろん、それは本当に知能を伸ばすことではないのだが、知能検査の結果がよくなるという結果は同じである。「この特性だけを伸ばせば良い」という考え方は、往々にして「この検査だけをクリアすれば良い」という本質ではない対策に置き換えられる。

 

多様な特性を許容する社会

心理的な特性は、それぞれに長所と短所をもつ。であるならば、それぞれの特性をもつ個人が長所を発揮することができるような、多様な環境を社会が用意することもひとつの方法であろう。そうすれば、誰もが自分なりの居場所を見つけ、自分の長所を発揮することができるであろう。そのような社会を、豊かな社会と言うのではないだろうか。

これは理想論かもしれない。しかし、「これさえあれば」というこだわりが、人や社会に対する多様な考え方を妨げる可能性を考えておきたい。