私たちは「ポジティブであること」を、絶対視していいのだろうか

こころの「良さ」とは何だろう
小塩 真司 プロフィール

加えて、その心の状態を持つことで実際どれくらいの確率で良い結果に結びつくのか、ということも避けては通れない問題である。これは、研究のなかでは「効果量」という数値で表現されるものであるのだが、様々な論文において示される「効果量」の数値は決して高いものではない。

たとえば、とにかく「ポジティブ」であることが「良い結果」に結びつくと考える「ポジティブ信奉」とでも呼べるような考え方があるが、その効果量の数字を見ると、たとえ目の前にいる人が多少楽観的に(ポジティブに)なったとしても、とても「確実にそこから望むような良い結果が得られますよ」と断言できるとは思えない。それは、多少勤勉性を高めたとしても同じである。せいぜい、「確率的に少しは高まるかもしれませんが」という期待を持たせる程度ではないだろうか。

これらのことを考えると、決してその概念そのものが現実からかけ離れて絶対的に「良い」というわけではないし、ある特性を獲得するだけで「良い結果」が生まれるとは言いづらい。このことは、常に忘れてはいけない視点である。

 

「良い」と「悪い」は紙一重

さらに、同じ概念が時と場合によって「良い」「悪い」を揺れ動くこともある。たとえば勤勉性は、完全主義に結びつくことも知られている。過度に高い目標を設定し、その目標を達成しないと気が済まない完全主義的な人は、実際には目標を達成することが困難な状況に陥ることも多く、そこから抑うつや不安などの問題につながる可能性もある。

逆に、一見「悪そう」に見えても、時と場合によっては「良い」と判断される概念もある。たとえば、利己的で共感性に欠け、人を自分の都合の良いように操作しようとするサイコパシーというパーソナリティ特性がある。この特性は反社会的で対人関係上のトラブルを生じさせやすい、世の中にとっては厄介で「悪い」概念だとされる。

ところが、時と場合によって,サイコパシーは「良い」結果をもたらす可能性がある。たとえば、次のようなケースはどうだろうか。余計な感情移入をすることなく困難な手術を成功に導く外科医、市場が大混乱に陥っても冷静で的確な判断を下す投資家、前線で窮地に陥っても的確な判断で部下の命を救う軍の司令官などである(原田, 2018)。これらの職業に就く人物がこのような場面に遭遇したときには、むしろサイコパシーが高い人物の方がうまく危機を乗り切れるかもしれないのである。

このように見てくると、心理的な概念も研究と同じように「何にとって良いのか・悪いのか」ということを考える必要があることがわかる。そして、ほとんどの概念は、時と場合によって「良く」も「悪く」も評価できるものなのである。