Photo by Kyle Arcilla on Unsplash

誰にでもできる!世界的作曲家が教える、創造の「しくみ」と「原理」

曲を作るのは「楽しい」営みです!
思春期、たったひとりで重ねた夜が、みずみずしい作曲スタイルをはぐくんだ──。

渾身作『作曲の科学』を上梓した世界的なマリンバソリストにして作曲家、フランソワ・デュボワ氏の回想エッセイをお届けします。

「誰にも聴かれない音楽」に支えられた夜

私が作曲をはじめたのは、ちょうど思春期の頃でした。

13~14歳くらいで両親のいる母屋から離れ、庭先にある離れで暮らしはじめたことがきっかけでした。小さな自分の城のようなこの空間には、さまざまな打楽器に加えて、姉から譲り受けたピアノが置かれていて、それはガヴォー製の、なかなか良い音の出る代物でした。

Gaveauカヴォーのピアノ(1842年製造) Photo by KEYSTONE-FRANCE / Gamma-Rapho / Getty Images

私の生家はフランス・ブルゴーニュの片田舎ですが、それでも夜間に打楽器を演奏することは禁止されていました。でも、ピアノの音なら近所迷惑にはなりません。夜が更けて、思春期特有の行き場のない思いや考えごとが浮かんでくると、私は決まってベッドから起き出し、ピアノの前に座っていました。

思いつくままにメロディを創り、それにしっくりくる音を探りつづける。これぞと創り出したテーマを、どうやって曲に展開して終わらせればいいのか──。夜を徹して、そんな作業を黙々とやっていたものです。

そんな私のひそかな時間を両親はまったく知らなかったので、息子がどうして、さわやかな朝にときどき疲れた顔をして起きてくるのか、ふしぎで仕方がなかったようです。

当時の私の心と頭の中にあったすべてが──失恋の悩みも含めて!──ピアノに向けられ、そうして紡がれる〝誰にも聴かれることのない音楽〟が、思春期の不安定な心を支える役割を担ってくれていたのです。

作曲のルールを何一つ知らないまま、その密かな作業は数年間つづきました。

デュボワ著者6歳の頃

手に入れた「みずみずしさ」

やがてフランス国立高等音楽院に進学して、本格的に作曲のルールを学んだのですが、そのときにはすでに、私なりのスタイルが確立されていました。

メロディラインのセンスや音の鳴らし方に独自の特徴があり、体系的に習得した作曲のルールは、自分の中から湧き出てくる音を「磨く」手伝いをしてくれたのです。

17歳でプロの打楽器奏者として活動を開始して以降は、演奏の腕を磨くことに全力投球するようになり、収入につながらない曲作りは、ごく私的な創作にとどまっていました。

その後、師であるオリヴィエ・メシアンやアラン・ヴェベールらの巨匠に私の作品を聴いてもらう機会に恵まれると、彼らは唇に微笑みをたたえて、異口同音に「みずみずしさを保っているね」と評してくれたものです。

Olivier Messiaenオリヴィエ・メシアン(1988年撮影) Photo by Getty Images

少年時代の終焉から思春期にかけての、一人でピアノに向かいつづけたあの頃の感性に、通じるものがあったのでしょう。

プロの作曲家となった現在は、もちろん相当な集中力で曲作りに没頭しますが、決して作曲そのものを大げさにはとらえていません。