ラグビーW杯、元日本代表が語る「海外出身選手が教えてくれたこと」

だから日本ラグビーは発展してきた
山川 徹 プロフィール

多様性を象徴したトライ

「ぼく自身も海外出身の選手たちと同じチームでプレーしたり、対戦したことで、プレーヤーとしてだけでなく、1人の人間として視野や考え方の幅が広がった。海外出身の選手たちのおかげで、日本ラグビーは発展してきたんです」

そして彼は「ムーリーさん、ビル、そして学生時代の憧れだったマコーミック……」と歴代の海外出身選手を指折り数えた。

 

ムーリーさんとは80年にソロバン留学生として大東文化大学に留学し、第1回W杯に出場したノフォムリ・タウモエフォラウ。日本代表の記念すべきW杯初トライをあげた人物だ。

ビルは、ノフォムリに続き、トンガから来日したシナリ・ラトゥ(現ラトゥ志南利)。第1回から3度のW杯を日本代表として戦い、80年代後半から90年代にかけて日本のラグビーを牽引し、日本でもっとも有名なトンガ人と呼ばれたプレーヤーである。

ニュージーランド代表の祖父と父を持つアンドリュー・マコーミックは、99年の第4回W杯で、キャプテンとして日本代表を率いた名選手だ。

3人とも現役を退いた後も、日本に残ってサラリーマンとして働いたり、ラグビーの普及に力を尽くしたりしている。

大西は彼らのプレーを子どものころから見てきた。海外出身選手が桜のジャージを着て日本のために戦う姿はごく自然な風景だったのである。

大西があげた歴代の海外出身選手の名で記憶によみがえるのは、第6回W杯で、日本の最終戦となったカナダとのゲームである。

日本ラグビーは、まだ長い低迷期にあった。カナダ戦まで日本は、3連敗。第3回大会から数えると連敗は13を数えた。

カナダ戦も後半ロスタイムまで5対12とリードを許す苦しい展開だった。しかしロスタイムの攻撃で、日本代表は韓国出身の金喆元(キム・チョルウォン)からニュージーランド出身のハレ・マキリ、そして平浩二へとつなぎ、トライを奪う。2点差に詰め寄った日本代表は、プレースキッカーの大西が50メートル近くの距離からコンバージョンを決めて、同点に追いついた。

大西の劇的な同点弾が記憶に刻まれたのは、13連敗という長いトンネルを抜けたからだけではない。

韓国、ニュージーランド、そして日本とルーツが異なる選手がボールをつないで勝利を目指す、ラグビー日本代表が持つ多様性を象徴したトライだと感じたからだ。

いま振り返るとラグビー日本代表は、12年前に、ONE TEAMの兆しを見せてくれていたように思うのである。