「好きなことを仕事にするのはすばらしい」と人は言うけれど…

失われた小説をもとめて【2】
藤田 祥平 プロフィール

こんなにスランプなのは、きっと、インプットが足りないからだ。インターネットに書いてあったから、まちがいない。そこで、巷で流行っているという小説本をもとめて、じっくりと読んでみる。読みながら、おかしいなと思う。そんなはずはあるまい。たぶん、私の感性が鈍っているのだろう。ふむ、ふむ、なるほど……なるほどね……ふうん……

最後のページまで来てしまう。

砂を噛むような読書である。

それならばと、信頼している作家の未読の本をもとめて、読んでみる。しかし、なんだか、先が読めてしまう。考え方の癖や、技法、凄味なんかに、すでに既視感がある。いや、そんなはずはあるまい。たぶん、私の感性が鈍っているのだろう。

ふむ、ふむ、なるほど……へえー。

また最後のページが来る。

いろいろな本を試す。

最後のページが来る。

心は動かない。

そして私は灰皿に積もった吸い殻の山を見つめながら自己診断をくだす。

もしかすると、この人間は、いまのところ、なにごとも楽しむことができない状態にあるのではないか。

好きを仕事にする。たいへん結構。

しかし、好きが楽しいと感じられなくなったら、人間、ちょっと疲れている。

 

だから私が、ほんらいは生活費にあてるべき印税を路銀とし、それを燃やすようにして上越市から新潟市へとつづく国道8号線を北進していたのは、すでにある種の自傷行為、手首の血管を縦に裂くような行いであったと言える。

私は、心から、なにか心を動かされるもの、書かねばならない、生きねばならないと思わせてくれるものを、血眼になって探していたのだ。

なにかがあるはずなのだ。何百年、何千年という時が、これらの土地で流れたはずだ。神話があり、愛憎があり、未来があり、過去があったはずだ。

そんなはずがないのだ。なにもないわけがない。そう、この空虚なバイパスめいた国道8号線からふと思い立って左折し、降り立ったビーチ、海水浴場には、たくさんのひとがいて、そこでなにかドラマがあって、出会いがあって、みんな幸せだったり悲しかったりして、ああ、人間というのはこういうものなんだな、世界というのはこういうものなんだな、すてきだな、と思わせてくれるような、なにかがあるはずなのだ。

私はさび付いた海水浴場の看板を認め、左折して8号線を離れた。