創作のいちばんのひけつは、楽しむことだ。もちろん、たいていは、楽しいだけでは済まない。苦しいときもある。しかしその苦しみは、ボール遊びをしている子供が、ボールを追いかけるのがあまりに楽しいので、息が上がって苦しいけれど止められない、というようなものであるのが理想だ。
しかし子供だって、何千時間もボール遊びばかりやっていると、だんだんいやになってくる。そこで、いろいろ工夫してみる。古今東西のさまざまなボール遊びを模倣したり、やたら小難しいルールを定めてみたり、単純なものに回帰したりする。
もちろん、すばらしい努力ではあるけれど、そうしていると、だんだんと、いったい何のためにやっているのかね、という疑問が浮かんでくる。
これはどうにも避けがたい。
そして、そういう疑問が浮かんでくる時点で、もはや、ボール遊びを心から楽しんでいないのである。
好きなことを仕事にするのはすばらしい、と人は言う。私もそう思う。けれど、ときどき、おれの好きなものが、株取引や不動産や医学や、その他いろいろの、儲かりそうな仕事であればよかったな、と思う。健康的な分量だけ仕事をすれば、それで生きていけただろうから。
いやいや、愚痴っぽくなっている場合ではない。とにかく、美しい文章を。それも、内容にかなった文体で。主語、動詞、形容詞。あるいは、主語、形容詞、動詞の順序をベースにして。たまにリズムを意図的にずらし、意表をつき、反転させて。
書きながら、こんなにすてきな構文はないな、といつも思う。
きれいだ。すてきな文体だ。こんなものができるなんて、嬉しいな。
で、一度やれたのだから、次もやれるだろう、と思う。
しかし、だんだんと文章はほどけていく。
論旨は乱れ、内容は虚ろなものになり、したがって形式が定まらない。
書き上げたものを、はじめから見直してみる。
――駄目だ、ぜんぜん新しくない! つまらない!
なぜだ!?
それでも、それでも、できるだけよいものを。そのことに誇りを持てるような、優れた文章を。足して削って入れ替えて、ときには一からやり直して、書いて、書いて――
相場は、4000字で一万円。
これでも、高給取りなほうだ。
媒体も息を切らしながらやっている。仕方がないのだ。
(ちなみに、この連載が掲載されている現代ビジネスさんは、さすがにもっと高いです)