「日本人のナルシシズム」とは何か?E・トッドの言葉から考える
問題を「見ないふり」する社会「ナショナリズムというより、ナルシシズム」
今年7月、人口学者のエマニュエル・トッド氏のインタビューを行った。その合間に雑談をしていたときのことだ。話題がナショナリズムに向いた際に彼は何気なくこう言った。
「日本はナショナリズムというよりも、ナルシシズムだろう」
ナルシシズム? 東アジアでの様々な問題がこじれていることなどを受け、日本のナショナリズムが高まっているような感覚はたしかにある。しかし、「ナショナリズムというよりナルシシズム」とはどういうことだろうか――。
トッド氏はシンプルにこう述べた。現在の日本には、国家を強大なものにしたいという意志を感じないからだ、と。
人口学者である彼からしてみれば、人口減少の一途をたどり続け、大きな危機を目前にしているにもかかわらず、いまだに移民を受け入れることも、移民を移民と呼ぶことすらも躊躇する日本に対しては、ナショナリズムと言うよりもナルシシズムと言う方がしっくりくるということなのだろう。トッド氏は自著のなかで、先進国に共通のナルシシズムについて語ってもいる。
しかし、その言葉の奥には、もっと深い洞察がありそうだった。

私は日本で生まれ、中学、高校をフランスの現地校で過ごし、その後日本に帰国した。そして大学院を修了後、日本の企業で2年働き、フランスに移住した。現在は、フランスで翻訳や執筆の仕事をしている。
トッド氏のナルシシズムについての話を聞いてから、折に触れ「日本という国のナルシシズム」について考えるようになった。日本にいたときのことを振り返る瞬間、「フランスから見える日本」と「帰国したときの日本の状況」の落差を目の当たりにしたとき…何かのきっかけで、「日本のナルシシズム」が頭に浮かぶ。
「日本のナルシシズム」という言葉から、どんなことが見えるだろうか。
「実態」と「実感」の差
「なんかうまくいってるよね、この社会」
もう10年ほど前になるが日本で会社員をしていた時、上司のこんな言葉に驚いたことがある。当時は、「格差社会」という言葉が流行語大賞のトップテン入りした2006年から間もない時期。リーマンショックを経て、日本社会の貧困率が上昇していたタイミングでもあったからだ。1985年には12%だった貧困率は、2012年には16.1%に達していた。