東大卒の養父から性的虐待…戦争孤児が回想する「奴隷のような日々」

知られざる「引揚孤児」のその後(4)
石井 光太 プロフィール

樋口はこうした現実を何度も目にすることで、だんだんと市の行う里親事業に否定的な気持ちを抱く。

昭和24年にみや子ら16名の子供を養子に出した後も、5年ほど園の子供を養子として里親のところに出していたが、不信感が積もって、ついに昭和29年には養子縁組の中止を決断する。

5年の間に、園からは48名の子供たちが養子縁組を行った。だが、途中で問題が起きて破棄されたのが、29名(男子14名、女子15名)。つまり3分の2くらいの養子縁組が失敗に終わったのである。

 

こうした子供たちの人生は余計に困難なものとなった。和子もそうだ。以前は誰もが認めるいい子だったのに、里親とのトラブルの後に園に帰ってきてからは、不安定な言動が目立つようになり、ついには窃盗で逮捕されることとなった。

終戦から10年ほどが経ってもなお、引揚孤児たちは社会の犠牲となりつづけていたのである。

(つづく)