'64年東京五輪と長野五輪の旗は違う
いよいよ開幕まで1年を切った東京五輪。空手やスケートボードなど、初めて採択された新種目などにも注目が集まるが、今大会で「初」なのはそれだけではない。
来年の東京五輪は自国開催で初めて、「法制化されたデザインの日章旗」が採用されるのだ。どういうことなのか、過去のオリンピックを振り返りながら説明して行こう。
そもそも国旗のデザインについては、応援用などであれば厳密なデザインは求められないが、オリンピックの表彰式や開会式などで掲げられるものとなると話は違う。日章旗のように、「ごはんに梅干し」で簡単に再現できるシンプルなデザインであっても、国の規定に基づいたものでなくてはならない。

初の日本開催オリンピックとなった'64年の東京五輪では、1870(明治3)年に出された、太政官布告第651号で規定された日章旗のデザインが参考にされた。これは「旗の縦横比は2:3、円の大きさは旗の縦の長さの5分の3、円の中心は旗の中心」というものだ。
しかし、このデザインは戦前の布告を参考にしており、慣習的な意味合いが強い。戦後、きちんと法制化されたデザインはなかったため、例外のデザインも採用されることがあった。
それが'98年の長野五輪で採用された日章旗だ。この大会での日章旗は円の直径が5分の3ではなく、「3分の2」を採用。この比率は、'64年の東京五輪では採用が見送られていたものであった。また、雪や氷との対比で薄汚れて見えないように、白部分を鮮明にするアレンジも加えられている。
国のシンボルなのに、デザインが定まっていないといういいかげんな状況が変わったのが、長野五輪の次の年だった。
'99年に施行された国旗国歌法では、'64年の東京五輪で採用されたデザインと、縦横比および円の大きさの比率は同じだが、白と赤の色合いも細かく定められた。この法律に則ったデザインの日章旗が東京五輪ではためくことになる。(井)
『週刊現代』2019年9月14・21日号より